映画批評#1『最後の決闘裁判』


歴史的なスキャンダルを映画化!衝撃の実話ミステリー。 リドリー・スコット監督がジョディ・カマー、マット・デイモン、アダム・ドライバー、ベン・アフレックという豪華キャストを迎え、実話を元に、歴史を変えた世紀のスキャンダル​を描くエピック・ミステリー。​《STORY》 中世フランス──騎士の妻マルグリットが、夫の旧友に乱暴されたと訴えるが、彼は無実を主張し、目撃者もいない。​真実の行方は、夫と被告による生死を賭けた“決闘裁判”に委ねられる。それは、神による絶対的な裁き── 勝者は正義と栄光を手に入れ、敗者はたとえ決闘で命拾いしても罪人として死罪になる。そして、もしも夫が負ければ、マルグリットまでもが偽証の罪で火あぶりの刑を受けるのだ。 果たして、裁かれるべきは誰なのか?あなたが、 この裁判の証人となる。



主観による事実のすり替え


    

    中世フランスでの史実を基にした話。騎士であるジャン=ド=カルージュが、自身の妻であるマルグリットを旧友である従騎士のジャック=ル=グリに強姦され提訴する。その裁決として、当時の法に則りジャンはジャックに決闘を申し込む。決闘に勝てば勝訴、負ければ敗訴というものである。

物語は3部構成になっており、ジャン視点での事件事実、ジャック視点での事件事実、マルグリット視点での事件事実という風に進む。

面白いと感じたのは、それぞれの章の中で共通する 場面はあったものの、そのシーン内で細かな差異があったことだ。
例えば、ジャックがマルグリットに言い寄るシーンや強姦に及ぶシーンでは、ジャック視点ではマルグリットがジャックを挑発したり、性向に同意しているともとれる描き方がされていた。一方で、マルグリット視点では、ジャックに対して好意的な様に装っているがそれは表面上の演技であったり、襲われる際には本気で抵抗しているように描かれている。
また、マルグリットがジャンに事件のことを伝えるシーンでは、ジャン視点だと、マルグリットが怯えながら事件のことをジャンに伝え、ジャックに対する復讐をして欲しいと乞い、ジャンはそんなマルグリットを優しく慰める。一方で、マルグリット視点だと、怯えながらも強く凛として事実を伝えるマグリットに対して、ジャンは怒りを露わにして掴みかかり、マルグリットの意見を聞かずにジャックへの復讐を誓う。
これらの様に、それぞれの視点での差異があるということは、人が自らの信じたいように物事を信じ、記憶すらもその様に塗り替えてしまうという真実を示していると思われる。それぞれの章の人物像もやはり差異があり、主観的な自分と客観的な自分、仮面を被った他人とその人の真の姿が全く異なるという誰もが共感する真実が描かれている。

そして、描き方として疑問に思った点が、決闘後のシーンである。それまで作中では、戦闘シーンなどの不穏なシーンで雪が降るという演出がされていた。物語の構成手段として、冬は展開の最も悪い場面を示唆する時期として選ばれる季節である。そんな冬のメタファーである降雪シーンであるが、これが決闘後ジャンとマルグリットが街を凱旋するシーンでも続いている。そして、マルグリットの曇った表情のまま、シーンは終わる。その後、マルグリットが自分の子供を庭で見守るシーンへと変わるが、この時は野花が咲き、空も晴れている。すぐ後にジャンが決闘の数年後戦死したことが説明される。
ここから、マルグリットにとっての事態の改善・状況の好転は、決闘に勝利した時ではなくジャンが死に、妻(女性)という立場から解放された時ではないのかと感じた。

 評価                                                                                                       

                                    ★★★★★★★☆☆☆7/10                                                

                                                                                                       (栗田尚輝)



ホモーシャルとミソジニー



   ホモソーシャルという言葉がある。「現代用語の基礎知識」によると、ホモソーシャルとは「異性愛同士の強い友情」であり、「身体接触をともなうなど、同性愛関係にきわめて似ているが、だからこそ異性愛男性たちは、同性愛嫌悪(ホモフォビア)をアピールすることで自分たちの関係が同性愛でないことを示」すとされている。

   『最後の決闘裁判』において、ジャック・ル・グリ(アダム・ドライバー)とアランソン伯ピエール二世(ベン・アフレック)との間には極めて親密な関係があるが、まさに典型的なホモソーシャルであると言えるだろう。男女間だけでなく階級間の格差も非常に大きかった時代において、二人は兄弟愛に近い友情を結んでいる。また二人が、女性との性体験を、まるで狩りの腕を競う合うかのように求めている演出がところどころあることも見逃せない。「異性愛に近い親密さ」かつ「女性を性的な対象物・獲得物として扱う」という条件を満たすことによって、二人の友情は成り立っているのだ。

    「女性を性的な対象物・獲得物として扱う」ことは、女性を自分たち男性と対等に扱うことを拒否することを意味し、それは女性嫌悪(ミソジニー)と結びつくことになる。哲学者ケイト・マンの著作「ひれふせ、女たち   ミソジニーの論理」によると、ミソジニーは「女性が直接的に連関する規範、あるいは女性という集団の成員として予期される役割に違反したり、それに逆らうならば、敵意ある帰結を掲げて脅迫する」(p.42)。予期される規範というものは、例えば女性が男性に対して「生命、愛、快楽、養育、支え、快適さなどの道徳材」を与えることである。

    このことから連想されるのは、ジャン・ド・カルージュ(マット・デイモン)の妻マルグリット(ジョディ・カマ―)に対する振る舞いである。カルージュは彼女が出産や家事以外の事柄、たとえば領土における収支決算や家畜の管理をすることを禁止していた。また、ジャック・ル・グリが犯したレイプに関する裁判において、マルグリットは自分が過去にジャック・ル・グリの外見を褒めたことを証言したが、そのことを知ったカルージュは彼女が公衆の面前で「自分の顔に泥を塗った」と激怒する。「女性がさまざまな敵意に直面することになるのは、彼女が男性の世界(家父長制社会)で女性であるからなのであり、つまり、彼女は家父長制的標準(当該環境において利点を有する家父長制イデオロギーの協議)に応えていないと見なされるからなのである」(p.60)。

    ジャックへの復讐を誓いつつも、カルージュはマルグリットが自立した存在、男性への異議申し立てを「弁えず」に行う存在になることを快く思わない。それに加えて、ジャックやアランソンだけでなく、カルージュや他の男性たちも、更にはこれから述べるように女性たちまでもが、ホモソーシャルな社会とそれを支えるミソジニーを深く内面化してしまっている。




声を封じる



 ここで現代に時を戻してこの作品を考察したい。 2016年のアメリカにおける一つの裁判は、『最後の決闘裁判」の物語が、時代や国を超えて繰り返されることを証明している。この裁判は、スタンフォード大学の二十歳の青年が泥酔したまま二十二歳の女性に性的な暴行を加えた事件を取り扱っていた。青年の父親は、「たった二十分間の行い」によって「二十年間にわたって非の打ちどころのなかった息子」を裁くのは不当だと主張した。青年のある女友達は、今回の事件は青年の「判断の曇り」で「収拾がつかなくなった」結果引き起こされたものに過ぎず、いつも自分の「気持ちを尊重し、優しくしてくれた」彼がレイプ犯のわけがないと青年を擁護した(p.262)。一方、被害者である女性は裁判の様子をこう語る(p.267-268)。

    

(青年の弁護士は)名前すら尋ねずに、私の私生活、恋愛、過去、家族関係などについて根掘り葉掘り、ほとんど意味のない質問を繰り返し、些細なことを集めては、私を半裸にしたあの男のための言い訳探しをしていたのです。身体的暴行を受けた後に、今度は人格攻撃を意図した質問の数々によって精神攻撃を受けたのです。この女の言うことは筋が通らない。正気じゃないんだろう。実際のところアルコール依存症じゃないか。誰か相手が欲しかったんじゃないのか。……そう言わんばかりでした。

    「ひれふせ、女たち   ミソジニーの論理」の著者ケイト・マンは、男性が加害者であり、女性が被害者である場合、周囲からの同情(sympathy)が女性よりも男性(him)に流れていく現象を、ヒムパシー(himpathy)と名付けた。

 もう一度14世紀のフランスに戻ろう。今作でも全く同じ現象が起きていると言えるだろう。カトリックの司祭たちはもちろん、マルグリットの女友達やカルージュの母親さえ彼女に冷たい視線を浴びせ、レイプなど無かったのではないか、本当は彼女から誘ったのではないかと疑い始める。男性という「特権」をもつジャックに対して女性であるにも関わらず盾突いているという理由で、家父長制社会とそれを支えるミソジニーの論理からすれば、マルグリットは十分に「違反者」なのである。



構造による支配



    以上、男性優位社会=家父長制社会と、それを支えるミソジニーや、またヒムパシーといった概念を用いて、いかに女性が権力を剥奪されて貶められてきたかを考察した。当然、このような男女の非対称的な関係はこれからも私たちの日々の努力によって改善していかなければならないだろう。しかし、社会的強者である男性を「悪」だとして断罪すれば、こうした男性優位的な家父長制社会を破壊できるのかと聞かれたら、私は疑問に思う。考察する対象が社会構造である以上、誰が悪で、誰が正義かという点ではなく、どのような仕組みによって人間が権力を持つのか、社会的強者というものが再生産され続ける理由は何なのか、といった点の方が重要であるように感じるからだ。

    例えば映画の冒頭に、戦場でカルージュと敵兵たちが互いに斬り合うシーンがある。他の戦闘シーンでも同じことだが、大抵そこで犠牲になるのは男性である。私たちはあまりにもそうした光景に慣れているので、そこに何の違和感も感じない。映画や小説において、時に無残な方法で男性がばたばた死んでいこうと、強く胸がしめつけられるなんていう人はめったにいないだろう。実際私も、戦場で斬り捨てられていく男性の兵士たち以上にレイプされるマルグリットの姿の方により同情し、より残酷だと感じた。

    なぜそうしたバイアスが発生するのだろうか。答えはこうである。私たちは男性・女性を問わず、家族を守るために戦場へ向かうのは男性であり、その間に家庭を守り子供を育てるのは女性である、といったジェンダーロールを心のどこかで未だに自明視しているからである。男性に女性には無い特権が与えられている反面、彼らは女性には課されていないリスクもまた背負わなければいけないのだ。カルージュにとってそれは、自分の一族を守るために祖先から受け継がれた領土を手に入れることであり、ジャックにとってそれは、これまで以上に女性を「獲得」し、アランソンに仕えながら政治的成功を追い求めることだった。少しでも「ミス」をすれば死という「ペナルティ」が待ち構えており、実際にジャックはそうしたゲームに敗北して処刑された。

     私は、女性の「生きづらさ」に男性の「生きづらさ」を対置して、「どっちもどっち」といった結論を引き出したいわけではない。マルグリットを襲った事件が文字通り「地獄」であったことは間違いない。しかし「決闘」に敗北し、市中を引きずり廻されるジャックの死体や、生前のジャックを祭り上げておきながら、彼が「敗者」となった途端に手の平を返して、カルージュを賛美し始める女性たちを眺めていて、こうした社会構造は一体誰のためにあるのか、といった疑問を感じてしまったのだ。

 こうした疑問を、私なんかとは比べ物にならないほど暗澹たる形でマルグリットは突き付けられたのだろう。自分をレイプした男は最後まで、あれは「合意」だったのだと心の底から信じて死んだ。男を殺したカルージュは、ただ彼の名声欲のためだけに自分を救った。男たちだけでなく、女たちまでもが自分に寄り添うことは無かった。しかもこうした現実に、何か「真犯人」といった人物がいるわけでもない。暴力的で得体の知れない歯車に、自分もだれもかれも翻弄されているだけなのではないか。出口のない地獄、それが雪の降りしきる中で彼女が捉えた現実の姿だったのだろう。


評価

★★★★★★★☆☆☆7/10

                                                                                                           

                                                                                                          (飯野広)

 


※若干結末に関わる内容が含まれます


まずはじめに

・この映画は史実に基づいていますが、感想文中に登場する人物像の考察は決して実在の人物に向けてする目的のものではないことを念のため記しておきます。
・映画の感想をこういった形で書く事はこれが初めてなので、お手柔らかに…


(ごく簡単な)あらすじと構成


時は14世紀。騎士ジャン・ド・カルージュの妻マルグリットが彼の友人ジャック・ル・グリに暴行を受けたと訴え、真実をめぐって決闘裁判が行われるまでを複数の人物の視点で見ていく物語。

感想は、大きく分けて「各々の人物像を生々しく表す構成」と、「光と影の存在感」と「緊迫感あふれる戦闘描写」の三つを抱いた。以下、それぞれについて説明する。


第一の感想
「各々の人物像を生々しく表す構成」

    

    本作品は三つのチャプターに分かれ、それぞれの視点から事の顛末を把握していくことになる。基本的にそれぞれの視点では、それぞれのバイアスがかかった状態で事件が振り返られる。そしてその差異から各々の人間性が浮き彫りにされてゆく。
(第三のチャプター「マルグリットによる真実」はthe truthの部分が画面で強調されており、これが真実であることが作品内で示されているといえる。この辺に関しては後述したい)
そうした構成の中で私なりに主要人物たちを紹介するなら、以下のようになる。

・ジャン・ド・カルージュ

    この男を一言で表すなら、「遠い存在ばかりを見ている人間」だ。難しい局面に立った時には決まって、「神」や「王」や「善」を味方につけようとする。そうした位の高いものへの憧れから、自分の名を上げることを至上のものとしている。
 彼の人間性は彼の使用人に対する言動からも読み取れる。畑を牛に耕させる場面で、ジャンは主要な稼ぎにしている馬を大切にするあまり牛よりも馬にやらせるべき畑仕事に馬を出し惜しむ。それによって畑は十分な収穫を得られず、民を飢えさせてしまう恐れがある事を考えつかない。本人に自覚のない状態で、身近に重んじるべき民を差し置き騎士として成功しようとする事に執心してしまっている。

・ジャック・ル・グリ…ジャンの旧友

    この男はジャンと正反対な「目先に気を取られる人間」という印象を持った。貧しい出身から様々な能力を身につけ、機知に富む言動で作中では王に次ぐ権力者ピエール伯にも気に入られるなど、周りの人間を味方につけることに長けている人間だ。しかし、女性関係では問題点があり、現にその問題点が今回の事件を起こすこととなる。
 ジャンの妻であるマルグリットに惹かれ、ジャンの不在を狙い彼女に会いに行き、一方的な物言いで彼女に迫るさまはまさに目先の欲を果たす事に集中している様子を示しており、その後騒動に発展してからの憔悴と合わせて彼の本性を明らかにしている場面であったと思う。

・マルグリット・ド・カルージュ…ジャンの妻

    この人物は本作品における事件の被害者であり、率直に言って非常に過酷な状況に置かれる。夫やジャックをはじめ様々な人間に心無い言葉を浴びせられても、声を上げ続ける姿は騎士の時代に目立つ肉体的な強さとは別の精神的な不屈さを感じた。この時代においてその強さはたぐいまれである事も映画の中で描かれている。実は自身も性的暴行を受けた過去を持つ義母に「生きながらえたければ性的暴行を受けたことを黙っていろ」といった内容の忠告を受ける場面があったが、彼女はそれでも告発する選択をした。裁判所にて男の裁判官たちから質問を受けている際も、彼女は芯の強さを貫ききった。現代であれば彼らの方が告発されかねないような質問にも答え、自らの受けた被害を闇に葬らせまいとする意志の強さを感じる場面であった。
 このように芯のある人間としてマルグリットは描かれているが、それでいて彼女は他者への配慮も持ち合わせている。地代を払っていなかった者に対して寛容な姿勢を示したり、使用人に驕ることなく接したり、彼女の人当たりはよく、エゴイストの多い本作において貴重な性格を持っているといえよう。
 こうした人格者的な一面が際立つマルグリットだが、人間性をごく客観的に考える上では彼女が一番難しいのではないかと思う。その理由は、作中において彼女の視点が真実であるとされているからだ。今までの二人の視点がエゴによる脚色ありきで、描写の違いから人間性を割り出す事ができたのに対し、彼女の場合は違う。マルグリットの「真実」が最も真実味を強調されている点からして、彼女のチャプターは客観的な人間性を見出す事が難しい。
 ここから考えられるとすれば、彼女の視点はいわば「二人の男のそれぞれのバイアスを完全に取り払った答え合わせ」のような構成上の意味があるといった所だろうか。


第二の感想「光と影の存在感」

    

    どの映画にも光の当て方が表現力として一定の存在感を持つことは共通しているだろうが、この映画にもそれは十分に言える事だった。
 例えばマルグリットが毅然として本音をぶつける場面では、後ろから光がさしていて、相手は暗い方に立っている。こうした描写は作品を通して目立って用いられており、「善きことや正しい事」には光が差し、「邪なことや抑圧する/されているもの」には影が立ちこめる映像が物語の理解をより分かりやすくしているという実感を得た。
 なお、決闘裁判のシーンでは、基本的にグレーがかった画面で、この場面においては善や悪が明確に区別できないことを表していると思った。


第三の感想「緊迫感あふれる戦闘描写」

    

    怒号が飛び交い、金属同士がぶつかり合う音がひっきりなしに響き渡る戦場の描写は、騎士として生きる事がいかに死と隣り合わせであるかを伝えるに十分の迫力だった。
 それでも武勲に生きる当時の騎士たちにとって、戦は密接不可分の関係があり、特に名誉を重んじるジャンのような騎士には他にないほど駆り立てられる場であったのだろう。彼は周囲に呆れられるほど勇ましく戦う。武勲も彼のプライドを作り上げた一大要素だ。
 なお、本作において最も緊張が高まる決闘裁判のシーンは目を見張る迫力だった。馬上での槍の突き合いから地上に降りて長剣の応酬を繰り広げ、手斧からダガーへと徐々に武器のリーチが狭まってゆくアクションシークエンスは圧巻で、本当に最後の最後までどちらが勝って真実を手にするのかが見えないシーンとなっていた。


むすびに

    

    以上のような大きく三つの感想を抱いた映画「最後の決闘裁判」であったが、私はこの映画を鑑賞して、真実を貫くことは時に全身全霊をかける事が要されると知った。それと同時に、本作品の三人による「真実」がそれぞれ違ったように、主観によって現実は様々な受け取り方があるのだと再認識した。


評価

                                          

                                                                                                       

                                                                                                       (山田雄大)



法的観点から見る中世の女性の立場


    驚くべきことにタイトルにも示されたこの決闘裁判の原告は、「被害女性の夫」なのである。

    ここに中世における女性の立場が集約されている。

    現代であれば性犯罪により身体的精神的苦痛を受けたのは被害女性なのだから、その女性が加害者である男性に対して損害賠償請求を求めるて訴えるのが常識だろう。

    ではなぜ中世では被害女性の夫が原告だったのか?
被害を被ったのは「妻の身体や精神」ではなく、「夫の子孫を遺す権利」と捉えていたからである。
このことはセリフとして作中の裁判で明確に現れていた。
このセリフを聞いたとき、筆者には激震が走った。

    この被害の捉え方の違いが中世に生きた女性たちのどんな立場を明確にするのかというと、
ズバリ「女性は男性の所有物であったこと」、「女性は結婚しなければ性被害を訴える手段すらなかったこと」である。

    この女性に対する価値観は登場する男たちの言動にも現れていた。
カルージュルはル・グリに対する個人的な妬みを晴らす「道具」として妻であるマルグリットを利用していた。
    一方でル・グリは文字が読め、ラテン語を話せる多彩な自身にはそれ相応の女性を添えるべきだと考えており、相手の女性の意思は関係なく女性をアクセサリーのような物としか捉えていない。それがマルグリットへの拗れた愛を生み、事件が起きた。

    物語はカルージュの視点、ル・グリの視点、マルグリットの視点で描かれる。同じ出来事を複数の視点から観客・読者に見せ、「事実の多面性」を表現する作品は多々ある。
    しかし、この"最後の決闘裁判"で巨匠リドリー・スコットをはじめとする制作陣が表現したのはただの多面性ではなく、「女性と男性の世界の捉え方、事実の捉え方の違い」ではないかと筆者は考える。

    そう考えると、たとえ中世から長い年月の経った現代においてもその捉え方の違いは形を変えずに残っていると感じる。

    ジェンダーバランスが大きな社会問題として取り上げられる現代において、その問題解決に必要不可欠な第一歩は「我々男性が女性の世界の捉え方を知り、男性の捉え方との違いを自認すること」だと筆者は考える。
その一歩目を踏み外したり、飛ばしてしまえば歴史は繰り返すだろう。

    この作品は男性が踏み出すべきその一歩目にふさわしい。その意味で多くの男性がこの作品を鑑賞することを強く望む。 

                

評価 

                                                                                                                                                                     ★★★★★★★☆☆☆7/10                                                               

                                                                                                                (Alan)


最終評価

                                            


★★★★★★★☆☆☆ 7/10

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