(主に)小劇場とハラスメントについて、いま私が思うこと

こんばんは。
(石榴の花が咲いてる。) という劇団を主催している中野 雄斗です。

今年に入ってから映画監督や俳優、演出家などが性加害やパワーハラスメントをおこなっ(てい)たという告発が度々なされており、
事実関係の精査がされていないものもありますが、まずは被害状況を精査し、加害した者が適切な形での報いをうけ、
被害に遭われてしまった方たちが今後すこしでも心安く健康に過ごしていけることを願います。

と言っていますが、私自身も決して他人事ではありません。
これまでに演劇でも仕事でも、そして私生活でも、他人に対し威圧的に振舞ったり、(性的なものを含め)嫌悪を引き起こすような言動をおこなってきたりしたことが少なからずあります。
傷つけてしまい、連絡のつかなくなった方が何人もいらっしゃいます。
そうした方々に対し、本当に申し訳なく思っていますし、(コンタクトをとること自体が加害を助長する場合を除き)しかるべき謝罪をし続けていかなければならないと思っています。
本当に、申し訳ありませんでした。
恐れ入りますが、私に対し賠償を求めたい方がいらっしゃいましたら、第三者を通じてでもいちどご連絡ください(弁護士等、プロに依頼した場合、費用は私が負担するつもりです)。
私にできる範囲で、なにをどう償うことができるのか、ご相談させていただければ有難いです。

まず、どういった類のハラスメントについても、
おこなった者は適切な報いを受けるべきだし、被害に遭われてしまった方は護られるべきだと思います。
ただ、その判断は刑事・民事どちらであれ法に委ねるべきでないかと思います。
自分自身が特定の相手に対して加害者である、ということも踏まえて、適正な賠償は加害者―被害者間で、法に則って取り決めるのが筋だろうと考えます。

気掛かりなのは、いまの世の風潮が被害者側からの告発に基づく私刑に走りがちではないか、ということです。
何度も申し上げますが、なによりも悪いのはまず加害者であり、そこは疑いようがありません。
ただ被害があったからといって、加害者に対してたとえば「生きているのはおかしい」といった行き過ぎた言葉(人の死を願うような言葉は行き過ぎだと私は捉えます)を発するなどというのでは加害に対し、別の加害で応酬することになってしまうのではないでしょうか。
ハラスメントに関し、現在一部のSNS上で度々行われているのは、いわば暴力の応酬だと考えます。
また、そうした応酬のなかで「男性だから」「前提として」加害者側であるかのような乱暴な男女二元論に発展することや、
加害者の属するコミュニティ全体が悪であるかのように中傷するのは直接関係のない方々やハラスメント問題の解決に尽力している方々まで理不尽に攻撃する、卑劣で差別的な行為だと思います。

まず許し難いことをした者は、適切に裁かれるべきだと思います。
裁くのは法であり、法のプロだと思います。
市井の人々が石を投げるということに、もうすこし慎重になったほうがよいのではないでしょうか?
許せない、という気持ちが起こることは当然理解しますが、その気持ちが先行するあまりの負の連鎖がこれ以上起こらないよう願っています。

ハラスメントを「おこさない、おこさせない、許さない」というのは正しく、絶対にそうあるべきですが、
それと同時に「何人に対しても、人権や法令は適用される・人権や法令を遵守する」という意識が必要なのではないか、と思います。
私自身気をつけてゆかねばならないし、
私が主催している劇団 (石榴の花が咲いてる。) でも今後劇作をしてゆくにあたり、その姿勢の明文化・遵守をすべく準備を進めています。

まず誰も、誰からも暴力をうけませんように。
もしうけてしまったとして、誰かに救けを求められますように。
綺麗事でも暴力がなくなる世界を望みますし、そうなるようまず私が反省し、働きかけていきたいと思っています。

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