見出し画像

私の世界が変わった日

いま、コロナウイルスの影響で色んなことが変わってきている。

日本だけじゃなく、世界もだ。今まで震災や災害で想像もしなかったことが起きたことはたくさんあったけど、日本以外の国が日常を過ごしていれば、自分たちもすぐに日常に戻れるんだと、どこか安心することができた。しかし今回は、もうほぼ全世界といってもいい国が非日常を過ごしている。

変わる世界と変わらざるを得ない世界の仕組み。

でも私は専業主婦。

加えてあかちゃんが家にいるから、実は今回の騒動で一番変わっていない部類の人間だといえる。外出自粛は妊娠中の昨年から自主的にしているし(切迫だったため)実は妊娠前から専業主婦を数年やっていて、夫や自分の親類以外とあまり関わらないから濃厚接触者がそもそも少ない。

友達は少なくないけど、自分から会いたいといわないタイプ。誘われればいくし、誘われなければ自分からは誘わない。夫のことも親類のことも大好きだけど、そこまで依存していない。

そんな私の世界が変わったのは、コロナウイルス騒動が起こる数か月前だった。

2019年12月。息子が産まれた日。産まれる前日と産まれた後では、いや、産まれる1分前と産まれた後では、もう何かが決定的に変わってしまったのがわかった。それは産む痛みの壮絶さ以上に衝撃的なことだった。

夫も友達も、周りのなにもかもが私がいなくても成立する世界だった。私がもしいなくても夫は他の人と結婚しただろうし、私にしかできない仕事なんてどこにも存在しない。

でも息子にとっては違った。もし私が存在しなかったら、彼はここには産まれてきていないのだ。もし魂が存在して別のところに産まれたとしても、きっとこの姿形じゃなかっただろう、そう思うと、自分がとてつもなくすごいことを成し遂げたような気がした。

息子が私に向かって笑えば、何もかも許された気持ちになるし、今までどうにかして自分の存在意義を見つけようとしていた私は、どこにもいなくなってしまった。

毎日息子中心の日々。どこにもひとりでいけないし、何をしていても息子のことしか考えられない。こんな気持ちになるのははじめてだった。

自分の親もこんな風に感じたのかな、夫の親もそうだったかな、道を歩くあの人の親も、TVでみるだけのあの人の親も、こんな気持ちだったかな。

そう思うとすべてを尊敬して、優しい世界でいきている気がした。

もちろん泣き止まない息子にイライラしてしまう日もある。夫婦ふたりでのんびりと過ごしていた日々を懐かしく、うらやましく思い返す時もある。

でも、長い睫毛をふるわせながらすがりつく息子を、ちいさな手で私の腕をつかむ息子を、まあるいほっぺですやすや眠る息子を眺めながら、しあわせだなと思う。

もう息子のいない世界には、絶対に戻れないし、戻りたくないのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?