福士貴光という人

福士貴光さん通称Fukuさんが亡くなった。信憑性の高い情報が集まりすぎて、合理的に考えれば信じざるを得ないのだけど、まだこの目で何も確認できないのがもどかしい。

Fukuさんとのフィジカルな付き合い自体は実は半年ほどだ。短い。短すぎる。でもその前から彼の仕事には触れ続けてきていて、おそらく10年近く顔も知らぬまま影響を受け続けてきた。

おそらく世の中的にはタイのフリーペーパー、DACOの編集長として知られている。DACOは誇張でなく置かれた瞬間になくなるほど、タイで暮らす日本人にとっての情報源だ。その中で彼はキレキレの企画と完璧な記事を世に出し続けてきた。私が好きなのはバンコクやタイの地名の語源を調査した回で、フリーなのが信じられないクオリティに驚愕した。些細な疑問を掘り下げ、完成度の高いエンターテインメントに仕上げてしまうその手法はおそらく誰にも真似できない。

また、DACOと並行してガイドブック「歩くバンコク」の監修も行っていた。大手ガイドブックが束になってもかからない情報量とその精緻さは、編集長が代替わりしてからのものと比較すると明らかだ。今のスタッフによるものももちろん悪くはないのだが、並べて比較すると格の違いは明確と言わざるを得ない。

そして、今でこそタイポップ通を偉そうに謳っている私が、近年のインディーズシーンを知るきっかけになったのもFukuさんのブログだ。まさかタイにあるとは思わなかったフェスの情報やクラブシーン、見たことも聞いたこともないアーティストを、彼のブログを見て「これは知っておかねばならん」とのめりこむことになったのだ。

そんなFukuさんと初めて会ったのがステラ浅草だった。ぶっきらぼうなようにも見えたが、私のDJを見て「こんなに趣味の合う人見たことない」と褒めてくれたのが最高にうれしかった。あのFukuさんが私の選んだタイポップを褒めてくれるんだぜ!

その後もFukuさんは私が回すときはちょいちょい顔を出してくれた。青山の月見ル君想フでのアジア系イベントから、私のDJ教室や新橋の闇鍋的なDJイベントにまで、場所を問わず顔を出してくれた。比較的寡黙な方なのでそのときは簡単な挨拶を交わす程度だったが、後から「どうやったらあんな選曲ができるのか。一生音楽聴いても自分には難しそう」的なことをツイートしていただいたときは畏れ多すぎて画面を閉じた(正確には一旦Twitterを終了した)。よくよく思い起こしてみると、Fukuさんはずっと私のことを褒め続けてくれていた。しかも話の流れではなく、唐突に褒める。つまり、その場の雰囲気で褒めているわけではなく、褒めたくて褒めている感がひしひしと伝わってきた。音楽的に気が合ったというのもあるが、どこか人懐っこいところのある人だった。そして私はなぜかとても愛されている感を感じていた。

少し不器用なところのある職人気質なFukuさんが、なぜ誰よりも先にいなくなってしまったのか未だに納得できない。しかもこんなお別れもできない時期に。いつかはみんながお別れするんだろうけど今じゃなくてもいいだろうよ。

正直、付き合いの期間を考えると、私がこんなことを書くのはおこがましいとも考えたけど、私の中にはずいぶん長いこといたので吐き出させてもらう。Fukuさんというすごい人がいたということを少しでも多くの人に知っておいてもらいたい。

DACO 第443号 編集長Fが足繁く通う5つの理由 我愛♡台湾
Fukuさんの写真が表紙

第290号 2010年6月5日発行 特集 バンコク地名ものがたり
私の好きなDACOトップ5に入る傑作

Best of Cyndi Seui
Fukuさんがライナーノートを担当

最後はFukuさん最後のツイートにあった曲で、私も大好きな曲「Oxigen」で。

改めて聴くと、映画のエンドロールで流れる曲のようにも聴こえる。

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