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やり遂げた眼差しは美しい
ずっと前から演者最後の日にはメッセージを遺そう決めていたので、ついにその日が来たかという感じです。
色んなところでたくさん言われてきましたが、私たち24卒は大学入学と新型コロナウイルスの感染拡大が重なった世代です。中央大学は他の大学以上にサークル規制が厳しく、℃hurryzがコロナ禍以降にUNIDOLに出場したのは22-23Winter。どのチームよりも遅かったです。
℃hurryzの名前が使えないので、別の名前を使ってSGRを中心にイベントに出演する、というのが2年ほど続いていました。私は気持ちはずっと℃hurryzだったし、人前で踊る機会がきちんとあったので特にもどかしい思いはせず、ダンスにかなり苦戦しつつも充実した日々でした。
私、1年の時は特にほんとに踊れない人で、ウェーブできん、アイソレ無理、何もステップ踏めんという感じで、幾度なく練習の流れ止めて、足を引っ張りまくってました。全然踊れないくせに「まあ、これからっしょ!」と脅威の図太さでステージに立ち続けてました(やばいなこの女)
大学2年の冬、ついに℃hurryzの名前を使って活動できるように!ワーイワーイ
みんなが新歓頑張ったおかげで春にはたくさんの新メンバーが!ワーイワーイ
ちょうど演者生活も折り返し地点なこともあり、3年の春はめちゃくちゃ気合いが入ってました❤️🔥
が、
突然、両親の離婚を告げられました。
幼い頃から夫婦喧嘩の範疇を超えた光景を目の当たりにしてきたので、驚きは少なかったです。「なぜ今更...?」とは思ったけど。
最初に言われたのは学費はもう払えないということでした。
私はバイト代のほとんどをこの活動に溶かしていたので、お恥ずかしながら当時の貯金はほぼZERO〜
奨学金を申請したところで給付までの間に1度学費納入の時期がやってくるので、数十万は貯める必要がありました
「もう大学辞めなきゃなのかなー、そしたら℃hurryzもか。」
とりあえずやれることはやってそれでも無理だったら、全てを諦めようと決意しました。そうして1年間の活動休止に入ります。
大学にいる時間以外はほぼバイトの日々。
この活動を中心にしてきたので、見なきゃいいのにどうしても気になっちゃって何度かTwitterをのぞいていました。その度にみんなから置いてかれてる感覚になって、もう私の居場所はないのかな、戻ってもいいんかなー、そもそも戻れるのかなーってぐるぐると色々考えてました。
「金ないくせに大学通っててごめんなさい」が、いつの間に「生きててごめんなさい」になってて、当時は心を無にして毎日やり過ごしているつもりだったけど、今思えばとてもとても病んでおりました
今は「ちょっと金ないくらいで病んでてしょうもな」とか思ってますけど(ヤバくないかこの女※2回目)
時給安いけどシフトカットは絶対にないのがマクドナルドなので毎月10万は稼ぎ、3年の秋には無事、奨学金の給付も学費減免も決まりました。
演者再開を決意し、久しぶりのステージに向けて準備してる最中、今度はチームが活動休止しなければならない事態に。
ちょうど年度末ということもあり、それまでいい意味でユルいのが売りだった℃hurryzですが、UNIDOLに出場してそうもいかないよね、これからどうするという話し合いになりました。その結果、たくさんの後輩がチームを去りました。
この時既に、実は6人もいた11期も私1人だけでした。
活動歴を考えると私がリーダーするしかなくて、生き残った(言い方)13期・13.5期と春に迎え入れた14期とで #ちゅりーず23 が始まりました
サバイバーたちはほんとに粒ぞろいのメンバーで、それはそれは喜ばしいことなのに、私は劣等感を抱くだけでした。ダンスもビジュも人気もどれを取っても秀でてるものがない私がリーダーであることに負い目を感じてました。4年生の中でどころか演者の中で1番ダンス下手とも思ってました、本気で。
もうさすがにこれ以上後輩辞めないだろうと思ってのに、今年度入ってからも何人も後輩が辞めていって、その度に私のせいだ、こんなんがリーダーだからだって思いました。
文字にしてみるとめちゃめちゃネガティブになっちゃってますが、相変わらずコンスタントにステージには立っていました。私℃hurryzからいなくなった方が良くね?とは思いつつ、辞めるつもりは更々なかったです(矛盾)
そんなこんなでついにこの前の冬、 念願のUNIDOL出場を果たしました。
この冬予選辺りからかな、私のパフォーマンスを褒めてくれる人が目に見えるように増えたのは。
最初は「いやいや何を言ってるんだ?」って感じでまったく信じてなかったけど、あまりにも色んな人が褒めてくれるので、ちょっとだけ信じてみようと思えるようになりました。3月入ってからやっとです。
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「やり遂げた眼差しは美しい」
タイトルにもあるこの言葉はピューロ卒コンで℃hurryzが披露した「スタートライン」の一節です。
私は4年間℃hurryzのまっきーであり続けられたことが1番の誇りです。この場所にしがみついてきました。
最後はピューロランドで卒業証書を手にできて、ヲタクにも演者にも別れを惜しまれる存在になれて幸せでした。
℃hurryzで過ごした4年間は、私の生きた証です
それじゃあ、また会える日まで
℃hurryz11期 まっきー🍮
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