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AIによる死者復活ビジネスにもやもやした話

先日、中国で生成AIを使って
亡くなった人を復活させるビジネスが登場し
論争を呼んでいるというニュースを見ました。

生前の写真や音声を基に動画を作成するというものです。
こうして、まるで本人が喋っているかのような動画が出来上がります。
学習することで、本人そっくりの口調で会話をすることもできるそうです。
費用は日本円で約8万円からとのことでした。

このニュースを聞いて、もやもやざわざわしてしまったのですが
なぜなのだろうと考えていました。
AIとして蘇った大切な人と日常的に会話することで
生きる力を得られるのなら良いことじゃないかとも思ったのですけれども
なぜかもやもやしてしまいました。

話は変わるのですが
海外のニュースである女性が亡くなった夫から毎年
誕生日だったかバレンタインデーにメッセージと共に花束が届く
というエピソードを聞いたことがあります。

生前、旦那さんが近所の花屋さんにまとまった額を渡して
自分が亡くなった後も毎年送ってくれるように
依頼をしていたのだそうです。
奥さんは花が届くたびに
亡くなった後もなお続く愛情を感じられるとのことでした。
このエピソードはとても感動して
心温まる良いお話だなと思って聞いていました。

先ほどの生成AIの話と合わせて考えてみたときに
どうして生成AIニュースにもやもやしてしまったのかなと
考えてみたところ
亡くなった人の「意志」というのが
あるかないかということかなと感じました。

花束のエピソードは、旦那さんの
「自分がいなくなった後も毎年愛情表現をしたい」
という明確な意図を感じられるので
そのことが胸を打つのかなと思いました。

このように、亡くなった人と生きている人の
繋がりを持ち続けたいという気持ちは
古今東西あるように思います。
私の夫は割と若い頃に父親(私から見て義父)
と死別をしています。

ただ今でも会話の中で
「親父はこういう時こんな風に言うんだけど」とか
「今、親父がいたらこう言うだろうな」という風に話をします。
亡くなってだいぶ経つのですけれども
日常的に身近に感じているのだろうなと感じます。

彼にAI復活ビジネスの話をしてみたところ
即答で「いらない」という風な答えでした。
どうしてかと聞きますと、全然本人じゃないからとの答えでした。

義理のお父さんは会ったことはないんですけれども
ちょっとエキセントリックなところがある人だったようです。
子供に水泳を教えたいという場合
通常プール教室に通わせるですとか
自分で教えるにしても浅いプールから練習をさせると思います。
ただお義父さんはどうしたかと言いますと
海に行ってボートで沖に出て
岸からだいぶ離れたところで子供を海に投げ込んだのだそうです。
嘘に聞こえると思うんですけれども、実話です。
今だったら虐待で通報されかねないと思います。

「それで泳げるようになったの?」と聞いてみたんですけれども
「ううん、溺れた」とのことでした。
義理のお姉さんも同じように投げ込まれて
後に学校の体育の時間でプール実習があった際は
泣いて逃げ出すくらいのトラウマを植え付けられたとのことでした。
一時の万事、こんな感じで育てられたようです。

もしお父さんのAIを作ったとして…
だいたいAIの返答というのは集合知から出来上がるので
内容は無難なものになってしまいます。
そのため
「子供に泳ぎ方を教えたいんだけど、どうしたらいいかな?」
という風に聞いたら
「いいスイミングスクールを見つけたらどうだろう?」
というようなアドバイスになるかなと思います。

ただ、義理のお父さんだとしたら
「今度の週末に市民プールに行って
 大人用のプールに突き落とせ」というのではないかなと思います。
AIのパラメータを変更して
ちょっとアバンギャルドな返答するような設定をすることも
可能だとは思いますが
結局その返答というのは本人が考えたものではありません。

もう一つ、彼がAI復活のサービスは
特にいらないかなと答えた理由については
記憶が変に上書きされるからとも答えていました。
つまり、本物っぽいけれども中身が別の者が喋っている姿を見ることで
相手の面影というのが歪められる感じがする、とのことでした。
冒頭で紹介したニュースにもやもやしたのは
実はこれが原因だったのではないかなと私も思いました。

明らかに本人ではないものが答えているのに
本人っぽいというところが非常に不思議な感じがして
中身がない入れ物だけが動いているという感じがするところが
すごく奇妙に感じたのだと思います。

ただ、お葬式で故人が列席者に対して話しかける動画を作る
というサービスも一部あるというのも聞いたことがあります。
(遺影が話しかけてくる、というもの)
これから先、案外そういうものが一般的になっていくのかもしれません。

賛否両論あると思いますが
ハリーポッターの絵の中のゴーストたちみたいな感じで
「案外これもあり」というふうになるのかもしれません。

ただ、私自身が亡くなった後に
自分の顔と声でそれっぽいことを話している存在がいるというのは
なんだか気持ち悪いので
私はあまりやりたくないなとも思いました。

大切な人と会えないという寂しさを
なんとかして生きていくしかないのですけれども
個人的には自分の心の中にいる相手と対話するというのが
今のところはいいかなと感じました。

結局自分で呼びかけて
自分で答えているだけというものなのですけれども
よく亡くなった人のことを考えるとき、心の中で呼びかけるとき
近くに来ているというふうにも言われるため
「きっと今近くに来てくれているんだろうな」と思っている方が
私にはしっくりくるなと感じました。

カバー写真:🌸♡💙♡🌸 Julita 🌸♡💙♡🌸によるPixabayからの画像

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