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産むか、産まないか

「子供を産んでみたい」という気持ちと、「産むのが怖い、自分に子育ては無理」という気持ちの間で数年単位で揺れ続けている。

元々結婚するのが遅かったうえに、ぐずぐずしていたから適齢期はとうに過ぎてしまった。以前は定期健診で婦人科に行ったら「産む予定はあるの?」と聞かれていたが、もうその質問はされなくなってしまった。

産もうとしてトライしても授からないということもあるだろうし、「跡継ぎがいなければ」というプレッシャーがある家でもないから子供がいない人生ももちろん全然ありだと思っている。
(自分が出産可能かも実のところ分かっていない。
 今まで授からなかったから本当は難しい体である可能性もある。)

でもずっと「産むか/産まないか」という選択が、重低音みたいにずっと頭の中に響いている状態が続いている。

産んでみたいと思うのは、私の場合、命を生み出すってどんな感じなんだろうという興味本位がかなり近い。

どんなに科学が発達しても命に近いものを生み出せても、まだ命そのものを作り出すところまでは至っていない。(もしかしたら、いつかそんな技術も実現するかもしれないけど…)
母親が「作る」というよりも、何か大いなる存在と地球とのつなぎ目、媒介、トンネル、のような役割をするのだと思うのだけれど。

ただ、いったんマザーになれば、ノン・マザーにはなれない。子育ての大変さは、実際に体験したことはないけれども、友人や会社の同僚の話やYouTubeなどでうかがい知るだけでも本当に壮絶…。間違いなく、興味や好奇心だけで手を出してはいけない領域だよなぁ…と。

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あと、両親共働きで、祖母に養育を受ける中で軽度の虐待を受けたこともあり、今でも、子供が子供らしいわがままを発揮している場面(ショッピングモールで「買ってー」と泣き叫んでるとか、「これが嫌!」と素直に表現するとか、自分の世界に没頭し続けて親の言うこと聞いていないとか)に遭遇すると、結構自分でもびっくりするくらいの怒りがこみあげてくることがある。

私がそんなことしたら平手打ちが飛んできてたから、「そんなわがまま私は許されてこなかったのに」という感情がぐわっと湧き上がってくる。
他人の子供ならその場から立ち去ればいい。でも自分の子供だったら?私も祖母と同じように暴力で黙らせるのでは?って。

悩み続けてタイムリミットになるかもしれない。
トライしてみて授かるかもしれないし、だめかもしれない。
でも、こんな風に悩んでいた人がいるんだっていう記録としてなんとなく書いておきたくなった。

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