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つくしの会児童合唱団 第55回定期演奏会

 宮城県大河原町。白石川と桜並木、そして蔵王のコントラストが美しい、人口2万人程度の小さな町に、55年間もの間、地域の子どもたちが集まる合唱団があります。それが、つくしの会児童合唱団です。元々ピアノ教室としてスタートしたのですが、1968年に生徒たちに声をかける形で、合唱団が発足されました。
 私自身は、合唱団員として3歳から高校2年生まで(合唱団の卒業が高校2年生なのです)、ピアノ教室では小1から高校3年生までお世話になりました。発足以来、ご指導されている細渕誠一先生と、奥様の弘子先生には、音楽面だけではなく、人としてもたくさんの愛を注いでいただき、育んでいただいた、大切な場所です。

 そんな私の古巣である合唱団が、55周年という節目の年を迎えたということで、周年コンサートに行って参りました。団として開催する定期演奏会では、5年ごとにOG・OBが一堂に介し、同じステージで合同合唱を披露するのです。前の日が大船渡でのライブ、次の日も仕事、という中ではあったのですが、今年の全ての予定の中で、私の中では何よりも一番優先されるべき日。気合いを入れて、弾丸帰省をしました。
 2008年、40周年の定期演奏会をもって卒団した後は、OGとして裏方スタッフで関わらせていただいた時期もあります。働き出してからはなかなかそれも難しく、1人の観客として、両親と客席で見るようになっていました。しかし、それもここ3年間は新型コロナウィルスの流行により断念をせざるを得ない状況。つくしの会児童合唱団の演奏を生で聴くのは、本当に久しぶりでした。

黄色がトレードマークの合唱団。立看板も黄色です。

 会場は大河原にあるえずこホール。仙南の地域文化の発信地として、1996年にオープンしたホールです。幼い頃から何度も立って来たので、馴染みのあるホールのつもりでしたが、本当に久しぶりに足を踏み入れたので、なんとなく感慨深い気持ちになりました。一歩足を踏み入れれば、そこには共に声を重ね続けて来た仲間の姿が。「ちーちゃん!久しぶり!」そう声をかけられた途端に、あの頃の気持ちが蘇ってきます。
 今回は周年コンサートということで、開演前にOGと現役が揃ってのリハーサルがありました。現役メンバーの間に挟まる形の立ち位置が決まり、少し恐縮した気持ちではありましたが、先生が前に立った途端、吹っ飛んでしまいました。
 毎回、この合同ステージでは、峯陽作詞 小林秀雄作曲の合唱組曲「火のくにのうた」より、「阿蘇」という曲を披露します。曲の中の歌詞に、こんな一節があります。

今度また来るからね 大きくなって来るからね
その次また来るときは 恋人連れて来るからね

峯陽作詞 小林秀雄作曲の合唱組曲「火のくにのうた」より、「阿蘇」

 つくしの会は、"児童"合唱団なので、いつか卒業のときが来ます。高校を卒業し、私も含め、地元を離れる人もいます。でも、このつくしの会児童合唱団で音楽を通して分かち合っていたという事実は、全員が共通しています。5年ごとに「こんどまた来るからね」を繰り返し続け、恋人を連れて来た人が現れ、子どもを抱いてステージに乗る人が現れ、そして親子で、さらに孫を含めて3代でこのステージに乗る人もいます。そうして歌い継がれてきたこの曲、そしてこのフレーズは、時代が変わっても、全員が同じ歌い回しで、たとえ声を合わせたのが今日初めてでも、ぴったり合ってしまうんです。

 リハーサルの後は、客席に向かい、合同ステージまでの間を両親と見させていただきました。
 今年の現役メンバーは26人だそうです。私がいた頃は50人を超えたこともあったので、そこから考えれば約半分。でも、だからといって迫力が劣ることは全くありません。一曲目は町民憲章のうた。大河原町の美しい町民憲章を、誠一先生が合唱アレンジにしたものです。「ここに川がある」その、最初のフレーズを聴いた瞬間に、リハーサルで緩んだ涙腺が、崩壊してしまいました。
 新型コロナウィルスの蔓延により、様々な音楽行事が打撃を受けましたが、合唱が受けた打撃ほど、凄まじいものはなかったのではないでしょうか。一人一人が声を出すことで音楽を作るのが合唱。大人数、密集、飛沫、全てが感染を引き起こしてしまう可能性があります。そんな中でも、フェイスシールドやマスクをして、歩みを止めなかった合唱団です。今年も、感染防止対策ということで、マスク越しのステージになってしまっています。私もリハーサルで、初めてマスクをして合唱をしましたが、自分の音がなかなか拾えなかったり、思うように息が吸えなかったり、本当に大変でした。口にマスクがくっつき、うまく発音出来ない言葉もありました。
 でも、全ての言葉が、一つ一つクリアに聞こえたんです。マスク越しにも関わらず、人数が少なくなっているにも関わらず。私が現役の頃も、言葉を届けることは大事するための指導を、たくさんしていただきました。アクセントが伝わるような抑揚の付け方や、鼻濁音、無声音も。それでも、自分自身がマスク越しで、それを全て発揮できたとは思えません。一曲目だけではなく、そのあと全ての曲で、全ての歌詞を聞き取ることができました。歌ったことがあった曲も、初めて聴いた曲も、全てです。きっと並大抵の努力ではないのでしょう。自分のステージまでに涙を止めることが出来るのか、それだけを心配しながら、楽しませていただきました。一曲一曲感想を書いていると、もう全然記事が終わらないので、割愛させていただきますが、これだけ。えずこホールに響き渡るグレゴリオ聖歌は格別です。これは卒団してから分かりました。

 リハーサルがハイライトのようになってしまいましたが、本番の「阿蘇」はより一段ギアが上がったように感じます。ブランクがありすぎて、自分だけで歌ってるときには出なかった部分も、みんなで声を合わせた途端楽々出てしまうし、もう限界出していると思っていても、先生がクレッシェンドの合図をすれば、もっと出てしまうのは、きっと音楽の魔法です。会場いっぱいに響き渡る拍手に、思わずステージの上でお互いに拍手をしてしまったことも、ステージを降りたあと、客席から再び拍手が上がったことも、長い間で初めての経験でした。

 終了後はトンボ返りで大槌に戻らなければいけなかったので、写真だけ一緒に写ったあと、挨拶もそこそこに、ドタバタとえずこホールを後にしてしまいました。その後開かれた55周年を祝う会では、私にとってとても大事な曲である、「柿の実」もやったのだとか。妹から教えてもらいました。「柿の実」と「私」というお話は、また別の機会で出来ればと思います。

 まず、つくしの会児童合唱団の皆さん、そして開催のためにご尽力なさった先生方、関係者の皆様、本当に尊い時間をありがとうございました。ここ数年、足を運ぶことが出来ていませんでしたが、やはり私の音楽の原点はつくしの会にあります。音楽をやる前に人間をやってるということ、そして、「Semper melius」常によりよくあること。頭の中にはずっと置いているつもりでしたが、直に触れられることが大事なのだと改めて感じました。

 こんどまたくるからね!と、また声を合わせられる日を楽しみに、また頑張っていこうと思います。

 

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