雨がもたらす祈りと祝福

2019年4月にグーグールルというアイドルグループがリリースした1stアルバム「ぐるぐるチューンズ」に収録されている、『Rain Rain』という曲があります。

この記事は、この『Rain Rain』という曲に対する思いが強いあまりに文章化せずにはいられなかった、いちヲタクの感情の置き場です。よろしければお付き合いください。


「グーグールル」とは

私はグーグールルというアイドルグループのヲタクなのですが、そもそもグーグールルってどんなグループなのか、という前提のところから始めたいと思います。

グーグールルは、元BELLRING少女ハートでCLOCK & BOTAN としてソロ活動を行っていた柳沢あやのさんを中心として2018年に結成された、AqbiRec所属のアイドルグループです。
メンバーは、柳沢あやの(あーやん)、遠藤遥(はるちろ)、八屋ほのか(はち)、朝比奈るの(るのちー)、瀬戸杏奈(杏奈)、藤宮コマチ(コマチ)の6名。(()内は愛称)

※八屋ほのかは現在活動休止中

コンセプトは「毎日パー↑ティー↑」。HOUSEミュージックをベースとした様々な曲を持っています。
今回ここで題材となる『Rain Rain』はそのうちのひとつなのですが、なぜ私がこれほどまでにこの曲が好きなのか、その理由を自分なりに文章化してみたのが、このブログになります。

そのため、ここで書かれていることは私個人の解釈であり、公式の見解等では一切ないことを先に断っておきたいと思います。


詞世界

作詞は空五倍子。

この曲で歌われているのは、「祈り」と「祝福」という風に解釈しています。

なぜ、「祈り」と「祝福」なのか。

歌詞を引用しながら紐解いていきます。

冒頭は以下のフレーズから始まります。

「空へ逃れるようなバレエ あの思い出に囚われてたら 失うものが多すぎる」

そして続く節で

「涙は見せないのさ 夢ならば夢のまま 2人を引き裂いて」

と歌われます。

逃れる、囚われる、失う、引き裂く、といった言葉から連想されるのは、歌詞に登場する2人の関係にいずれ別れのようなものが来るという感覚です。
ただしそれは望んでいるわけではなく、「そうするより仕方なかった」ようなニュアンスを私はここに感じています。

ここで描かれる雨は「くちづけ」として優しい存在として「僕」を包み込むように降っています。

古来より雨はさまざまな俳句、歌などで題材として描かれてきていますが、それらを見ていくと①ジメジメして不快感を覚えたり、豪雨になれば洪水などの災厄を引き起こすなどの悪いイメージ、②「恵みの雨」として農作物に豊作をもたらすような良いイメージ、といった二項の対立するような概念を併せ持つ存在であることが読み取られます。

参考:


歌詞に出てくる2人は対の存在なのか、あるいは現在と過去といった時間軸での自分自身なのか、そういった示唆を「雨」というモチーフで表現しているように私は感じています。

後半、

「愛ならば 愛のまま」

と歌い、

「ぼくのこと わかってくれた」「無邪気そうにキスをした」

「君」と「僕」の関係は、もしかしたら恋のような、それとも憧れのような、淡い関係にも思われます。

参考:

そして

「日に焼けた君の腕は 僕には眩しくって」「虹かかるのを待てずに走り出した」

と続きます。

きっと「君」には届かなかった、彼我の差のようなものを意識させるとともに、虹がかかるその前に「僕」は一歩を踏み出している様子が見て取れます。

続く

「予感がした このままゆこう」

のように。

この「君」は文字通り「君」かもしれないし、もしくは過去の自分かもしれない。

そうしたものと現在の「僕」との決別のような、ある種「僕」の変化がここにあるように思います。

そしてラスト、冒頭で

「涙は見せないのさ」

と歌っていた「僕」は

「わかりあうことが全てじゃないね」と理解して「頬を伝う雨」が「優しく濡らし」て

この詞世界は締め括られます。

雨と涙を重ね合わせるとともに、それでも前を向くような、決して悲しみだけではなく次へのスタートを予感させる終わりになっています。

歌詞の中の「僕」が一歩踏み出した時に降っている雨は優しく、日差しが差し込むかのような中で降る恵みの雨を想起させます。

私にとっては、ここには、優しく、微かで不安定だが美しい、彼我の関係が描かれているように感じました。

作曲はken akamatsu。

溺れたエビ!のキーボードでもある彼は、グーグールルの曲だと『Rain Rain』の他にも『Picked』と『Survive』の作曲を担当しています。

音楽的な知識・素養が浅いというかほぼない私からは、技術的またコード進行的な語り口からの描写はできないため、曲の展開やそこから感じる印象を中心に書いていきたいと思います。

ken akamatsu作曲の上記3曲はシンセ音のようなイントロから、壮大な世界観を予感させる展開をもって始まる特徴があり、Rain Rain はそれに続き弦楽器が重なっていくことで荘厳な雰囲気を導入に始まって行きます。

弾ける音(クリック音っていうんですかねこれは)を機に荘厳な雰囲気からは明け、繰り返しのパターンの中で振り付けと歌詞では雨の情景を表現するパートへと移ります。

クライマックスに向かうに連れ、刻んでいるビートは早まってゆき、それを一気に解放する際のカタルシスが、メロディーラインの特徴となっています。

この曲のメロディーが持つ特徴は「荘厳さ」と「解放」だと思っていて、いわゆる代表曲としてのアンセムというよりも、より原義に近いanthemに近いのかなという解釈をしています。

この曲でポイントになっているのは、通底して使われている弦楽器の音色で、このブログを書いていて気づいたのですが、Coldplayの『Viva La Vida』に近い感触があります。

ただ、『Rain Rain』もそうですしグーグールルが歌う曲たちは「世界の中での「君」と「僕」」のことを歌っているという点、そして仄かに漂う不安定さや暗さ、迷い、葛藤、といった点が共通していると思っていて、この曲もあくまでもサウンドは壮大ながらも描く心情・感情は極めて近い距離の話をしている、というこのギャップもまた、私の琴線に触れるポイントである、という点は記しておきたいです。

参考:

「赦しの雨」とでもいえばよいのでしょうか、そのような意味合いも重ねることが可能なのかな、と感じる曲の展開・構成でした。

ダンス

振付はナンシー。(元ナト★カン)

グーグールルの楽曲のうち、彼女が振りを付けているのは『Rain Rain』の他にも『Give a Meow!』、『ARUKU』といった曲など様々で、曲のモチーフに則りつつも、キャッチーで印象に残るような振りが多いように思います。

Rain Rainでのそれは、まるで雨乞いの儀式の舞かのような雰囲気の、凛としてしなやかな杏奈ちゃんのダンスによって始まります。

雨を全身を使って表現したかと思えば、手で太陽のようなものを形作ってそれを見上げ、水溜りをバレエのような足捌きで表現したかと思えば、降りしきる雨を涙の滴として自分の元に導いたり。

雨の表象を様々な形で表現していく中で、「僕」の心情の動きとリンクしていくような、素晴らしい振り付けだと思っています。

振付レッスンの様子は、グーグールルのツイキャスアカウントにたしか残っていたはずです。

(残ってました)
https://twitcasting.tv/ggll_aqbi/movie/528446725

ライブでのRain Rainはそれこそ毎回美しさに立ち震えてしまうほど素晴らしいのですが、その中でも特に好きなRain Rainの動画はこれです。

バランスよく映っていて振り付けも見やすいのですが、6人であること、そして月見ル君想フでのパフォーマンスという点がポイントになります。

(Rain Rainは4:18頃〜9:00頃)

この曲の中で特に好きな振付のポイントは以下の4つです。

①6:10〜6:37頃、意志を持った目で力強く前を見据えたのち、太陽のようなものを形作って天を見上げるところ

ここの振りはフロアで見ていると、照明も相まって後光が指しているような中で行われているのですが、このときのメンバーの意志のこもった目と凛とした立ち姿がめちゃくちゃ格好いいです。
一瞬一瞬に込められる魂を感じます。

②6:38〜7:05頃、バレエのような動きで足元に水たまりを描いて舞う

歌詞にも出てきますが、バレエのような動きをここでは意識しているのだろうな、と思います。
私はここに『Singin' in the Rain』のようなニュアンスを感じました。

参考:


雨はすでにやんでいるのか、あるいは小降りか。
いずれにせよ、前の節で太陽を掲げ天を見上げる前段の動作からは一つの場面の転換、心情の変化を感じ取れます。

ここで描く風景は雨でも、後の「僕」の決意へとつながるような、橋渡し的な効果を持っているように思います。

③8:29〜8:35頃、「わかりあうことが全てじゃないね」でのあーやんとるのちー

ここは「頬を伝わる雨は君の胸」から続いて、雨のしずくを手のひらと全体の動きで表現しているパートだと思うのですが、ここであーやんとるのちーが互いに顔を合わせてしずくを交換している動作、そしてその時の表情に毎回ぐっと来てしまいます。
(動画では映りきっていないかもですが)

④8:45〜9:00頃、ラストの杏奈ちゃんはちちゃんの抱擁

杏奈ちゃんのブログ、そしてこちらのツイートにもありましたが、ここは過去と現在(未来)の自分を表現しているように思います。
決意のもと、2人は離れていくものの、それは決して後ろ向きなものではないんだと、小さくも優しい希望を感じさせる終わりになっています。

ここの振りは、はちちゃんが活動休止してからは杏奈ちゃんがずっと一人でやっています。
たしか一度ここの抱擁の部分は、杏奈ちゃんが横ではなく前を向いて自らを抱きしめるような振りに変わっていたと想うのですが、その後再び2人の抱擁のように相手を抱きしめるような振りに戻っていたように思います。記憶が正しければ。

参考:

https://ggllog.amebaownd.com/posts/5587532

参考:

6人のRain Rainがまた見れると僕は信じてます。

「うたわれていくもの」

ライブパフォーマンスというものには、「その場一回限り」という魅力があると思っています。加えて、特にアイドルのライブパフォーマンスには詞×曲×振付×演者の声質×演者が持つ物語性、の5要素が魅力を何倍にも輝かせてくれるというのが持論です。

声質の話をすれば、あーやんの感情の純度を限りなくそのまま届けるような心震わせる歌声、はるちろの安定感がありつつも聴く者を飽きさせない歌声、るのちーの魅力ある高音域とメロディーラインをガッチリと掴む歌声、はちちゃんの優美で可憐でいて意志を感じる歌声、杏奈ちゃんの芯があり伸びやかな歌声、コマチの真っ直ぐで力強くも奥底にある人間味を感じさせる優しく素直な歌声、それらが渾然一体となってグーグールルの楽曲を支えていると思っています。

物語性はすでに多く語られているとは思いますが、メンバー全員が前世=ぐーるる以前にもアイドル経験があること、
そして「6人」ということです。

『Rain Rain』は美しい曲です。私は、毎回のライブを通じてその時その時の一瞬の美しさを追いかけていきたいと思います。


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