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ヒナタトカゲでした。


2022年06月28日
遅くやって来た俺の青春が終わりました。



バンドは解散したわけじゃないけど
一区切りってことで最初から振り返るね。








約5年前。


前のバンドが解散して、やることなくて暇だ〜って適当に生きてたんだけど、
ドラムを叩く場所、ライブをする場所がほしくて、友達に協力してもらって某大学のサークルに生徒のふりして入ってました。

そのサークルにたつきも入ってた。
なんか俺はメタラーだと思われてたらしい。
まあメタルとかのコピバンよくやってたからね。


俺は本当に全くたつきと面識なかったし、なんなら存在も知らなかった。
俺がライブの日しかいない幽霊部員みたいな人だったから。



ある日、そのサークルに入れてくれた仲良いやつが
「たつきってやつがバンドでドラムを探してる」
って俺のことを推してくれたらしくて



とりあえずたつき、おれ、友達の3人で飲み行きました。

それが2017年05月23日

これが俺にとってのヒナタトカゲ始まりの日。



軽くデモ聞いて、その時暇だったし
あ〜やるやる〜!よろしく〜!
ってその場で加入決めました。





そのあとメンバーで飲み行って軽く親睦して



初めてスタジオに入ったのが
たぶん2017年6月20日。


まだみんな全体的にフワッとしてて
何をしたらいいとか、どういうことしたいとかも全然わからずに、ただバンドがやりたいってだけで楽しくやってたな。




この時はまだボーカルがかんたじゃなくて、
アキユキってやつでした。懐かしいな。




バンド名をどうするか、ってミーティングで
動物とか色があるほうが何かとわかりやすくていいよね、ってなって

たくさん候補だして


トカゲいいじゃん!ってなって


なにトカゲにする?


ってなってからが長かった。

いいのが全然出てこなくてめっちゃ悩んでた時に、たつきがポロッと
「ひなたとかげ?」って言った。


ヒナタ+トカゲ
日向+と+陰


ダブルミーニングだしいいじゃん!!

ってこれだ!!ってみんながなったの覚えてる。
何故かたつきがダブルミーニングなことに気づくのが1番遅かった。


それが新宿西口のルノアール。




最初のライブは
俺が昔組んでたバンドでお世話になってたライブハウスに紹介していただいて、
いまやホームの高田馬場CLUB PHASEのBEATNUTSでした。これね。



懐かしいな。
まだアー写もなかったな。



初めて出た打ち上げがメロディックの、しかもBEATNUTSだったから
ヒナタは酒ヤクザとかいわれる打ち上げスタイルになってしまったんだと思います。仕方ないよね。





そこからほんとにたくさんライブしました。


MVも撮ったし


レコーディングもした。



たくさんの時間を共に過ごした本当に家族みたいなメンバーでした。



沖縄でライブしたのはほんとに楽しすぎてめっちゃ覚えてる。
あれは楽しすぎた。ほんとに。







たくさんのライブ出させてもらって、


たくさんの個人企画に呼ばれて、


TEAR、WATER、Laughing Hickたちと東京の音楽シーンを作ってた時期もありました。




あの頃は漠然とした自信が強くて、
このままいける!って何も疑わずにただひたすらバンド活動やってたな。




リズム隊特訓でさくまと2人でよくスタジオも入ってた。







そんなある日

2019年07月20日
ボーカル、アキユキの脱退。

まあ急にってわけじゃなかったし、仕方ないなって感じだったけど
それでも曲作ってんのも歌ってんのもこいつだったから、まあ3人でどうしよってなるよね。



めっちゃ困った。
いくらうちら3人の主張が激しいからってバンドの顔が変わるっていうのは
やっぱりかなりでかい問題で、めっちゃ悩んだ。



そんなときに
さくまとたまたまプライベートで仲良くなってたカンタがいて、
対バンもしたことあった後輩だったからみんなも知ってて。



でも前と声質が違いすぎて
どうなんだ、、?ちがくね、、、、?ってなってたんだけど

さくまの強いプッシュもあって、かんたに後任を任せることにしました。


結果大正解だったね。

作曲中のサーチライト。
ホニャホニャ語で歌ってるし今と結構違くてこれも新鮮。





たくさん練習して

たくさんすり合わせて


歩幅を合わせて

ヒナタトカゲとかんたが馴染んできて


ヒナタトカゲ第2章が始まりました。




第2章はスピード感がすごかったな。



まず2019年12月23日
Shining Lizardって偽名でこっそりライブしました。
普通にお客さん来てたけど笑笑



んでその3日後。
2019年12月26日

新生ヒナタトカゲがちゃんとスタートしました。



たくさんの人がまた動き出すのを待っててくれて、
たくさんの人が見に来てくれて、協力してくれて
めっっちゃ嬉しかったなあ



ライブ活動が再開して、少しした頃


2020年03月25日。
かんたが入ってから初の音源「日々の中で」をリリースしました。



この頃が1番カラフルだったな。笑


本当はリリースパーティや、ツアーも計画していたけど

ちょうどこの頃からコロナが流行り出したんだよね。



おかげでリリパ、ツアーは全中止。

すごい悔しかったな。




コロナでたくさんのライブがなくなったり、

たくさんのバンドが出演キャンセルになったり、


それが全然普通だし、世間的にはそうするべきだったけど



でもライブハウスによく来ていたお客さんたちは
やっぱりライブを求めているから

うちらはコロナが本当に恐ろしい病だったあの頃でも
できるだけたくさんのライブをやったし、何かしら動きは止めないように必死に考えてたな。





ライブができない、バンド活動自体を自粛、、

そんな音楽業界が終わるんじゃないかとか言われていた頃



2020年09月16日
「愛惜」リリースしました。



こんな時だからこそ、
ライブハウスに帰ってきた時に一緒に盛り上がれる曲をみんなに届けたかった。



それが「愛故に」


だと俺は思ってる。




「缶ビール片手に語り明かした夜」


コロナになってレスポンスの仕方がだいぶ変わったけど、
この歌詞のところでみんながグラスを上に掲げてくれるの、すごく好きだったな。





ちなみにその頃のアー写は
めちゃめちゃヤンキーに寄せてたから無駄にいかつい。

これは候補の一個。


いかちい。




愛惜はショートツアーをできることになった。

東名阪と北海道。




やっと動ける!!って嬉しかった。




LONG PARTY RECORDS サクマユウヘイさん、
通称ユウさんとちゃんと知り合ったのもこの辺かな?
全然覚えてないけど。

ユウさんは「明日には」を聴いて刺さってくれたらしくって

レーベルやろうと思ってるんだけど、一緒に始めてみない?みたいな感じだった気がする





とりあえず飲ませた。かわいそうに。




うちらも自主でやる?みたいな話が出てたくらいには自由にしたかったから

お互いの利害関係が一致したし


飲んでみて、いいなって思ったから
一緒にやることになりました。






ヒナタトカゲ初のレーベル所属。


個人的にはすっっごい嬉しくて、1ステップ進んだなって感じて、
ライブするのがもっと楽しくなってた。




でもバンドとして成長を伸び悩んでたのはこの頃からだった気がする。


どうすれば良くなるのか、どうしたら成長できるか、
たくさん悩んでたくさん練習してもうまくいかなくて
ずっとしっくりこなかった期間だったな。




個人的にも
ドラムは楽しいんだけど、なんか流れ作業というか、ルーティン化しすぎて
もっとかっこよくなれる気がする、、ニコニコ叩いてるだけじゃダメかって
悩んでたのがこの辺でした。




まあ愛惜のショートツアーを回って、
いろんなところに音楽を届けに行って

まだ見たことないバンドのライブを見て

俺はこれだ!ってものが少し見えたかな。

別に気にしなくていいや!って思えた。
俺は俺で、俺のドラムを叩くだけだ〜

って。





なんか愛惜ツアー終わってから

「生きて」着手まで全然記憶ないんだけど




たぶん作曲しまくったり、めっちゃライブ特訓期間だったんだと思います。







3枚目は全国流通でリリースしよう

ってなって
レーベル所属、MV解禁、全国流通、全国ツアーとかたくさんのニュースがあって

1番ワクワクしてたな。

どこまでもいける気しかしなかった。




日本最弱レーベルだけど自信はあった。




天命のMV撮影は
初めての本格的な撮影だったから、緊張もすごかったし、何より楽しかった。




そして
2021年07月07日


全国流通盤「生きて」リリース



たくさんのショップに挨拶回りさせてもらって、

たくさんの展開をみて

うぉぉ!ってすごい嬉しかった。
感動すらしてた。努力が報われてきたなって。





それで「生きてこそ、咲き誇る」ツアー。


これは脱退発表では言わなかったけど、俺が脱退を決める一因となってしまったツアー。


ツアー自体はすっごい楽しくて、たくさんライブできて幸せで、新しい繋がりや勉強できて、最高なツアーだったんだけど

生活との両立ができなくなってしまって、
そもそも働く時間が取れない。でもツアーは金がかかる。どうにかして回るしかない。っていう状況で、

バンド楽しい!って気持ちだけでどうにか乗り越えようとしてました。

まあこのくらいなら多分いろんなバンドマンが経験してると思うわ。
家賃とか光熱費が払えない、、飯食う金もない、、みたいなね。


ライブの日は現実を忘れられたけど、そうじゃない日はどうしても現実が見えてしまうから、家いると苦しくて

メンバーにも頼りまくって、どうにか回れたツアーだった。



よく頑張ってたなあ。
助けてくれて本当にありがとう。







ツアーがおわって、でもまだ年内ライブがたくさんでバタバタ。
渋谷クアトロ、ドラマチックアラスカ先輩の帯同、、とか。

そして次の盤のレコーディングだ!




って過密スケジュールなままレコーディングをした時にさ、


レコーディング中に意見が対立することなんてもちろん普通にあるし、
良いものにしようって気持ちがみんなあるからこそぶつかるんだけど



そのタイミングだったのもあるかな。



そこで完全に折れちゃったんだよね





俺のドラム要らないんだ、って思った。



モチベーションが完全になくなってしまって、生活も苦しいし、完全に病んでて、

そんな中、年末のライブ何本かやってさ。




あの30分間が本当に苦しくて。

ドラム楽しい〜!って今までライブしてきた俺なのに本当に楽しくなくて。

早く30分終わってほしい、まで思っちゃったりして最悪だったな。
お客さんにも感づかれたりしてさ。


頑張って笑ってたんだけどやっぱ違ったっぽい。

ごめんね。






めっちゃ苦しんで悩んで


このままだとバンドも嫌いになるし、ドラムももう触りたくなくなるくらい嫌いになりそう

って感じて



年明けにメンバーに脱退したい意を伝えました。





そこからはなんか吹っ切れたのかな。

変に気負わなくなったからか、またドラムを楽しく叩けるようになって


最後まで楽しく叩こうって思えました。



おかげでFRONT LINE TOURはまたちゃんと楽しくライブして回ることができて、

めっちゃいい思い出になりました。

合宿みたいで楽しかったな。




それで、俺の最後のツアー発表、脱退発表、新譜、MV解禁、、、、、、





ヒナタトカゲのドラムとして、最後のイベントたちでした。


挨拶回りも、ツアーも、全部噛み締めて行ってきました。




そして

2022.06.28


ヒナタトカゲのドラムを叩く最後の日。



最高のバンドに出てもらって

たくさんの人に見てもらって

最後まで叩き切ることができました。



思い出しかない5年間。

俺の人生で最も濃くて楽しかった5年間。

俺の全部をみんなに届けて、終わりました。



最後まで悲しくなることはなかったです。

なんでだろうな、全然寂しくなかったんだよね。


みんなが代わりにたくさん泣いてくれてたから

おれはその分たくさん笑顔で、最後まで楽しくニコニコしてドラム叩けました。




この5年間たくさん見てくれてありがとう。

俺のドラムをかっこいいって言ってくれてありがとう。


初期と今じゃドラムのセッティングも相当変わったなぁ



みんなからもらえる言葉が嬉しくて、自信と元気になってました。

本当にありがとう。

だいすきです。






ヒナタトカゲは最強のメンバーだと思う。

正直、俺が1番目立ってやるぜ!っていつもライブやってたのに
全然食えなかった。ちょっと悔しい。

でも、だからこそ俺も全力を出してライブできてたのかなって思います。



最高のメンバーに恵まれて、5年間活動できて本当に幸せでした。

どうせなら、めちゃめちゃ売れてくれ。











さて!今後は!

とりあえず2ヶ月くらいはフワ〜っと生きます!

5年ぶりパンピーです!飲み誘ってくれ!




んで、秋らへんからサポートが始まります!!

俺のドラムをまた見にきてくれよ!!



ついでに、バンドマンの方がこれ読んでたら、

まだサポート依頼も受け付けてるんで気が向いたら依頼してください〜!



ドラムが大好きで大好きで仕方ないマンなので

これからも楽しく笑顔でドラム叩きます!!


またどっかで俺のドラム見てくれる機会あったら、よろしくお願いします!

ちょた

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