「蒼生2019」への少し長い編集後記・序

文永玲音と言います。筆名です。僕が大学内での授業「編集実践2」で一部制作に関わった論系機関誌「蒼生2019」が、ごく狭い界隈の中ではありますが話題みたいです。もっと言ってしまえば、その中の一企画である「文学とハラスメント」が、と言ってもいいのかもしれません。

この「蒼生」について、そして「文学とハラスメント」企画におけるいくつかの文章、および企画を担当した編集部員のスタンスについて、何か言っておきたいような、言わなければならないような、複雑な気持ちでいます。けれど、僕は「蒼生」制作の中枢部にいたわけではありません。かといって振られた仕事をただこなしていた訳でもなく、いわば中間管理職といったところでした。まずいことは、僕は肝心の(と僕は言いたくないのですが)「文学とハラスメント」企画に一切関与していないのです。当該企画について、先日の発行まで内容に興味がなく、知らなかったという編集部員もきっといることでしょう。あまりにも複雑に絡み合った事情の中、きっと「蒼生2019」の制作過程で起こったことの全てを俯瞰できた人間は、編集部員はおろか先生方にさえ、きっと一人もいません。

そういうわけで、僕はこの「蒼生」について、今はまだあまり出しゃばったことを言うのは控えたいように思います。かといって、今ある情報だけで何かを判断されるということには、忸怩たる思いがあるというほかありません。だから、僕はまず「蒼生」ではなく、今年度の「編集実践2」という授業およびそれに関連する活動を、あくまで僕が見たとおりに書こうと思います。これは僕の主観です。客観や鳥瞰とはかけ離れた、たまたま事態の周縁部にいただけの、今なお真実が何も見えない僕の主観です。だからこれだけを読んで何かを判断してほしくはありません。そういう前提で読んでいただければと思います。

先に一言だけ断っておきますが、僕は「蒼生2019」がこの形で世に出たということ、「あなたとして生きる」「文学とハラスメント」「紙の本を保存すること」そして公募作品たちという四つの企画がそろって紙面に載ったことをとても歓迎しています。今年の「編集実践2」が出しえた最高の「蒼生」、それが「蒼生2019」だと、僕は信じ続けます。これは、編集部員一人一人の感情が交錯し、すれ違い、やっとのことで形になったこの「蒼生2019」という誇りに僕個人がどう関わり、どう理解していたかという文章です。ある意味、これは僕の備忘録でもあります。

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