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 今日もWeb面接を受けた。わざわざ電車やバスを駆使して東京中を駆け回って面接を受ける必要がないのは楽といえば楽で、精神的にはともかく肉体的経済的には非常に助かっているけれど、何回も面接をして事前課題までこなした上での面接がWeb上の10分や15分で終わってしまうのもなんだか虚しいものだ。だからといって直接会うのも緊張するものだけど。

 外出自粛の風が吹く中、インターネットが騒がしい。誰もがSNSやインターネットの小窓から膨大な量の情報を取捨選択し、自分だけの”セカイ”の中で、自分だけが正しいと思いながら活動している。おかしなものだ、Web面接なんかでは人の性質を測れるか疑問があるといってWeb面接を見送る企業がある中で、人はSNS上のごく限られた発言や情報を頼りに、目に見えない「誰か」を攻撃し続ける。彼等が見ているのは人なのか、それとも人の要素なのか、それはよく分からないけれど、人との直接的な触れ合いを失い、受け入れられる量を圧倒的に超える情報の中で物事を判断しなければならなくなった人間社会の限界をなんとなく感じるようでもあり、やや虚しい。インターネット上の「誰か」を必要以上に気にするべきではなく、「必要以上」のボーダーは人が思うより遙かに低いのだ。

 正直、今日の面接は結構大切だったのだけれど、なんとなく上手くいかなかったような気がする。精神が落ち込んだときはとにかく近所を散歩するよう心がけている日々だけれど、最近はその効果もやや薄れたような気がして焦燥感ばかりが募りがちだ。そんな時にインターネットでさらけ出される人間の醜さを垣間見ると、またさらにやるせない気持ちになってしまう。就活にも当てはまることかもしれないが、人は本来、こんなにも常に正解し続けなければ生きていけないような生き物だっただろうか?

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