0507

 最近、明日が遠い。毎日朝10時か11時に起きて、ESを書いて、web面接をして、合間を縫って近所を散歩する。今日も似たようなものだった。おかげで家にはやたらと長い有線ケーブルが導入され、近所の地理構造にやたらと詳しくなった。コロナだからといって、空虚な一日一日がひたすら続いているわけじゃない。一日一日はしっかりと伸び縮みするし、重みもある。精神的には参っているけど、それもコロナじゃなくて就活のせいだ。けれどなぜか、確かに、明日が遠い。

 今日は面接はなくて、午前と午後に2社分のESを書いた。お決まりの、けれどなんとなく、以前に書いたものを使い回すのは難しそうな質問にまた一つ一つ答え、ひたすら紙の上の空欄を埋めていく。最近ではこの作業も本当にただの作業にしか感じられなくて、それが心に暗く重くのしかかる。
 元々、コロナでそこまで参るタイプの人間ではないはずだった。家から出るなと言われれば、無限に本やアニメといったコンテンツを摂取していれば済むし、合唱に肩入れしすぎる僕にとって、それはむしろメディア文化により深く、親密に接するための好機だったはずだった。事実、東日本大震災の際に中学校のスケジュールが揺れた時にはそうやって過ごしていたし、その時初めてライトノベルとアニメーションに出会ったおかげで、僕は今こうして文化構想学部にいる。

 つまるところコロナは、僕にとって恰好のパラダイムシフトになるはずだったのだ。それなのに、この時期とあってはそうはいかない。生来の生真面目さから目下無駄に就活に押しつぶされている僕には、ストーリーに浸りメディアに溺れるだけの精神をセットアップすることができないから。そうするためには、僕はまず就活を終わらせなければならないけれど、この状況では難しい話だ。そうこうしているうちに、次第に世の中は「コロナ後」への準備を始めてしまう。僕にはそれがたまらなく悔しく、哀しい。

 近所の川沿いを散歩して、伸び始めた髪に風を感じながら、やけに蒸し暑い初夏の、緑色した匂いを楽しむ。新宿や渋谷や秋葉原の閑散とした様子がテレビに流れるすぐ横で、街の精肉店には人々の生活が溢れ、街のスーパーには人々の生活が溢れ、街の薬局には人々の生活が溢れている。そんな非日常的な日常を全身で感じ、文化の海にたゆたって居ることができないのが歯がゆくてもどかしくて、またESを書く手が鈍っていく。時間にけしかけられるようにむりやり筆を進め、営業時間ぎりぎりになってようやく這々の体で郵便局に駆け込んで、どうにか今日の分の消印を付けてもらい、そして今度は明日の面接のことを頭の片隅で思い悩みながら、なんとなく、うわべだけでテレビを楽しんで、当たり障りのない日常アニメに気持ちばかりの癒やしを得て、うだうだTwitterを見て眠りに落ちる。そしてその合間に、なんとなく、この日記を書いている。明日もきっと、さして変わらない一日だ。

 明日はどうしたってやってくる。けれど、いったいどれだけ遠く離れたら、「明日」はやってくるのだろう。

 

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