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麻賀多神社 奥宮 手黒社

本宮から長閑な田んぼや畔道を歩いて約20分、
車で約5分、まかたさまの奥宮がある。

御祭神は稚日女尊(稚日霊命、わかひるめのみこと)

高天原で神御衣(麻、絹)を織っていた神様

このあたりは麻や穀物の栽培に適した肥沃な土地を求めて阿波の忌部(いんべ)氏が黒潮に乗って開拓された場所とのことで、安房(あわ)、上総、下総と呼ばれる。

そういえば印旛(いんば)沼も忌部氏の沼の由来とか。
※それぞれの一之宮のご紹介はまた今度。

麻は古くはフサと呼ばれていたので、
麻を育て良く育つ国=総の国。

麻などで神御衣を織るこの神様がこちらで祀られているのも納得。
麻賀多神社(あさがおおいやしろ、麻が多くあり賀たい)との由来も一説にはある。

奥宮も立派な大杉の御神木

東隣に鎮座するのは、印波国(旧印旛郡一帯)の初代国造となった伊都許利命(いつこりのみこと)の古墳

その昔、日本武尊がご東征された折、大木の虚に七つの玉を埋めて祈願された。

伊都許利命は『この鏡をあがめ祀れば永く豊作が続く』との教えを聞き

その鏡を御神体としてこの地に稚日霊命を(手黒神社)祀り

その後、ご霊示により七つの玉を掘り出して稚産霊命(台方神社)を祀り

共に麻賀多眞大神として里人の崇敬を指導されてから

益々豊年と楽土が続いた

とある。

伊都許利命の祖神、氏族(おおうじぞく)からの麻賀神社の由緒もあるらしくかなり奥が深い。

さらに古墳の東隣には大物主神の金比羅様も祀られる。古杉に宿ると云われる大物主神が大杉が何本も立ち並ぶこの地に祀られ、讃岐、阿波→淡路→安房など四国から黒潮に乗った海からの繋がりも何か感じるものがある。

また、日本書紀に登場する稚日女尊はスサノオの悪事に驚いて機から落ち、持っていた梭(ひ)で身体を傷つけて亡くなり、それを知った天照大神は天岩戸に隠れてしまった。

伝説の岩戸隠れである。

大物主神は須佐之男命(すさのおのみこと)の六世の孫。この関係もまた勉強したい。

私は四国伊予出身。
地元の三島神社は子どもの遊び場だった。
現在、千葉の地におり、一児をもうけ
縫製を生業として生きることを決意し
開業に踏み切った。

太古より伝わる麻、絹の大切さを
この神々の神意、神威、神衣とともに
広くお伝えすることが宿命とオモフ。

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