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ちょもり家の子育て③(服選び編)

うちは服装もフリーダム。フリーダム過ぎて、長男と娘は家の中ではいつも裸ん坊(パンツは履くけど)。たとえ冬でも服を着ることのほうが珍しい。もちろん外に出るときは服を着るのだが、どの服を着るかは必ず本人に選ばせる。「今日は寒いよー」とか「暑いみたいだよー」とかの情報提供はするが、それ以上の口出しは極力しない。あまりにも選ぶのに時間がかかり過ぎて、急がないといけないときなんかはちょっと誘導するけども。。

そして次男に関しては、2歳くらいの時から女の子の服をやたらと着たがった。我が家では、それももちろんオッケーということで、次男のためにドレスなんかも何着か買った。面白いなーと思って彼(彼女?)の成長を見届けていたんだけど、4,5歳の頃からパタリと女装をしなくなった。保育所の周りのお友達の服装なんかを見て、「なんか違う…」と思ったのかな?個人的には、本当は女装をしたいけど我慢してるんじゃないかなぁと思って、未だに心配していたりする。やたらと自分のことを「〇〇(自分の名前)、男やで!」とか聞いてもないのに強調したりするし。。頑張って男の子をしてんのかなぁ…。

とにもかくにも、“服装を選ぶ”というとても些細なことではあるが、こういうところでいちいち彼らの自由意思を尊重してやることが本当に大切なことじゃないかと思う。

僕も含めて今の大人たちはあまりにも忙し過ぎて、彼らにゆっくりと服を選ばせてあげる余裕もなくて、ついつい「今日は冷えるからこれを着なさい」とか「○○に行くから、この服を着なさい」とか言ってしまいがちになると思う。だけど、そういう彼らの選択権を奪う積み重ねが、彼らの意思を萎えさせ、“受動的人間”へと没落させてしまう大きな原因になってしまっているんじゃないだろうか。「自立しなさい」とか「自分で考えなさい」ということを言うのであれば、日々の生活から、彼らに選択権を与えようではないか。彼らが選択するまで忍耐強く待とうじゃないか。そして、その選択がどれだけ滑稽に思えても、それを否定することなく受け入れようじゃないか。

たかが“服選び”。されど“服選び”。

大したことがないように思えることの中に、とても大切な要素が含まれている。

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