行くぞ(インドに)

自分の手によってこそ自分の生活をより良いものにしたり面白おかしくしたりできるという「実感」がこれまでもこれからも救いであり杖だと思っている。俺が誰より面白おかしく、やりたい放題でここ何年間を過ごしてきたと胸を張って言えるのは、これを本当に信じてきたからだ。
しかしちょうど1年前に院試勉強を始めるゾ〜って言いだしてから、なんやかんや卒論、就活なんてものを片付けるためにその「実感」をかなぐり捨てて、感情を殺して(本当に殺せていた?)目の前の目標に淡々と取り組んできた。
それで今やっと、ずっと眼前にあった目標が取り払われて、やっと完全に好きにしていい時間を手にしたぞ!!!!と周囲を見渡すと、友達や先輩の多くは散り散りになり、仙台にいる友達も何をしているのかよく分からないが忙しそうだ(これはE棟に限ったことではなく、俺がつるんでた全てのコミュニティでの話)。
そんな中で、なんというか何をしたら自分が楽しがれるのか分からなくなっていた。
単にブランクを解消するためのリハビリが必要なのかもしれないけど、仙台という街でこれまで面白おかしくした時間はあの時の仲間といつも一緒だった、という強いイメージが脳に焼き付いている感じがする。時が流れて人がいたりいなくなったりするのなんてごく当たり前のことなのに。もう仙台のどこを歩いても気が狂いそうだ。もちろん面白おかしくて好きな後輩たちは沢山いるけれど、俺はあの時楽しかったイメージをどこか追いかけていて、対してきっと彼ら彼女らにとってのあの時は今で、その対比と、またそのように勝手に規定している自分を本当に残念に思う。
読んでいるモノ好きがいたら勘違いしてほしくないけど今も俺は後輩たちと遊ぶの本当に楽しんでいる。つーかもっと俺にかまってくれ。俺がなんかダラダラ愚痴愚痴と言っているのも普通にいま俺がなんとなく本調子じゃないだけだ。
きっと後輩君たちも今のなんとなく落ち着いていてなんとなく落ち込んでいる俺と遊ぶのそんなに楽しくないだろうなとは思う。気を遣わせてないかと思う。俺はもっと面白い人間なんだよ、いまこの瞬間がつまらないなと思ったらいつもピンときて正解の1日にできる人間なんだよ!例えばいつもだったらチョケながら弱音を吐くようなところを、今恥ずかしながらチョケる余裕もなく支離滅裂な文章を垂れ流しているのが何よりの証左なんだろう。
よくよく思い出せば昔の俺はよく1人で遊び狂っていたしそれが楽しかった。しかしどうやらこの何年間で重度の寂しがり屋になっていたらしい。
7月は気が狂う量のバイトを入れてみた。バイトと少しの企画と実家の用事でちょっと帰省したらそれでもう手一杯になる算段だ。欲しかったちょっとの機材を買い、あと院試やら就活でおざなりになっていた生活を立て直す。あと多分インド行く。インド行ってカレー食って映画見てガンジス河で病気もらって人生観変わった!😃とか言い出す浅薄な大学生をやってくる。みんなインドから帰ってきて元気になった俺をよろしく。
弱気にはなっているけれど、現実との折衷であれ、どんな形であれ、脳みそ千切れるくらい面白おかしくガハハと生きていくぞ!と思っている。俺はその点においては何とも決別しないし、仙台でのあと半年を楽しくできたら俺はもう本当にどこでも俺っぽくいられるだろうと思う。

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