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【妊娠】これから、何を危険信号にしていけばよいのか…-19w-

昨日、午後から何だか腰が痛かった。
最初は、真面目に仕事しすぎてずっと座りっぱなしだったからなぁ、と思っていたのだけれど、それに加えてトイレに行きたい感覚が。

今日は食物繊維取りすぎたかしら、と思ったけれど、この感覚にちょっと怖い記憶がフラッシュバック…。

1人目の息子を死産した時、ずっとトイレに行きたい気持ちはあるのに全然出なくて、実はそれが陣痛だった、と言うことがあった。

加えて、1人目の時も2人目の時も陣痛は腰から来た私。

だから、今までも腰が痛くなければ大丈夫、だと思っていた。

だから、腰も痛い気がするし、トイレ行きたいけどいまいち出ない状況に気持ちが焦ってしまい。。

お迎えの時間は迫っているけれど、このまま迎えに行っていいものだろうか。
2人目の娘の時は、腰が痛いと思ってからがあっという間だった。
だから、お迎えに行って家に帰って、急に色々進んだりしないだろうか。
病院に電話すべきか。
でもまだ定期的に痛いわけでもないし。。

そうこうしているうちに夫は仕事が始まって、電話が取れなくなってしまう。頼るなら今のうちだ。

色々考えてしまったら、何だかパニックで涙まで溢れてしまって、少し落ち着いてから夫に電話したものの、喋り始めると涙が止まらなくなってしまった。。

「大丈夫、落ち着いて」

夫に励まされるとは…不覚だ…笑

結局お迎えは義父母に任せてる事ができ、とりあえず病院に電話することになった。

病院に電話する時も、つい涙が溢れてしまい、とりあえず不安だと思うんで病院に来てくださいね、となった。

タクシーで向かっている最中、不安な考えが止まらない。

どうしても思い出してしまうのは、1人目を死産した時のこと。

あの時は陣痛がどんなものかも知らないし、ただただ定期的にくるトイレに行きたい波と腰の痛さに耐えていた。
しばらく経つと、トイレで大量の出血が。
これはあかん、と思いつつ、病院に電話するのも怖くて、布団の上で抱き枕を抱いたまま泣いていた。
夫が帰ってきて私の状況に驚き、夜間の病院に向かうも、すでに赤ちゃんの心臓は止まっていて、そのまま出産に。

夜病院に向かうと、どうしてもその時の記憶が蘇り、タクシーの中で泣きそうになった。
出血はないから大丈夫、と思いつつも、あの時は結構後半になってからの出血だったし、赤ちゃんが無事かどうかもわからない。

今また死産したら2ヶ月産休に入るし、辛すぎたら妹がいるオーストラリアにでも行ってしまおうか。
死産したら、またあの辛い不妊治療の日々に逆戻りなんだな。
てか、死産じゃないまでも入院することになったら、、娘にこのまま会えずに何ヶ月も入院とかなったらやだな。。
あー、あの仕事もやって帰るんだった。。

いろんな考えが浮かんでは消え、浮かんでは消え、何なら車酔いと不安で最早吐きそうだった。

病院に着く頃には何だかもう疲れ切ってる私。
受付すると、助産師さんが車椅子で迎えにきてくれた。

1ヶ月前に入院していた病棟へ連れて行かれる。何だか懐かしさを覚える光景。

診察室では、手術を担当してくれた先生が診察して、丁寧に説明してくれた。

結果、子宮頸管は問題なし(何なら前回の診察時より伸びてた)。
赤ちゃんの心臓も元気に動いているのが確認できたら、安心して涙が出てきてしまった。

安心はしたものの、なぜ腰が痛かったのかはわからず、、お腹が大きくなってきたからなのか、それとも骨盤がずれているのか。

腰が痛い時、腎臓に問題がある場合もあるそうだけれど、今回は問題ないらしい。

腰が痛くなったら要注意、とだけ認識していたのに、これからどうやって早産の傾向を認識していったらいいんだ!!
唯一の指標だったのにー(T ^ T)

結局不安なまま家に帰りつきました。

娘を心配していましたが、おばあちゃん達にアンパンマンチョコを買ってもらって、ご機嫌に過ごしていた模様。
夫も早めに帰ってきてくれて、マックを買って帰りました。

訳あり妊婦、まだまだ不安な日々は続きそうです。。
今までの辛い妊娠の記憶が危険を察知する経験になってはいるけれども、あの時感じた悲しみまでフラッシュバックするのは辛いな。。

せめて、娘が新しい保育園に入る4月までは持ち堪えたい…!!

とりあえず、三連休はおとなしく過ごしたいと思います。。無理はダメ、絶対!

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