川原雅司という存在 ~CHAOS;CHILD(カオスチャイルド)感想~

※本編を履修済みであることが前提の記事ですので、未プレイの方が読むことは御遠慮ください




 さて、今回は川原くんを中心に――というか彼を取っ掛かりにCHAOS;CHILDという作品について少し掘り下げてみたいと思います。





【ある被災者の言葉】


 以下、第1章におけるカフェLAXでの拓留と世莉架の会話から一部抜粋、

「何が今一番辛いですか?って訊かれたとき、大半の被災者が地方の家族に自分の無事を伝えてやれないこととか、子どもに好物を与えてやれないこととか、とにかく他人を心配しててさ……でも、そんな中で一人の被災者が言ったんだよ」

 一言一句覚えているあのコメント。
 強烈に印象に残っているあの文句。

「頑張れという部外者」
「…………」
「……正直、頷いたよ。心底」

 まさしく、僕の気持ちを代弁していた言葉だった。
 どこの誰が言ったか知らないけれど、この言葉の主に僕は憧れたのだ。
 外野で盛り上がっていた人間とは、最も対極にあるだろう感情。

 拓留が話題に挙げたこのコメントの主は裏設定によると実は川原くんその人であるそうです。
 さて、そのことを踏まえつつ川原くんの存在意義(の一側面)について私なりの考えを述べます。結論を言うと、

「拓留や泉理の持つ嫌な部分やコンプレックスを【第三者】という座標から可視化するためにいる」

のではないかと思います。以下にちょっと例を挙げてみたいと思います――



【宮代拓留 と 川原雅司】


第1章での拓留の発言
乃々編における川原くんの発言

 1章で「家族でもなんでもない」という言葉を乃々に浴びせた拓留でしたが、乃々編では同じような言葉を自分自身が川原くんから浴びる羽目に。
 主に拓留の視点を通じて物語を見ているプレイヤーからすれば、

2章。青葉寮の自室における拓留
4章。拓留が落としたスマホには大切な家族の集合写真が保存してあった

―—こういう姿も知っているので、たんに素直じゃないだけで「拓留が実は家族をとても大切に想っている」ということはわかるのですが、それを見ていない乃々からすれば、

「もしかしたら自分が拓留を想っているほどには、拓留は自分たちのことを想っていないのかもしれない」

という不安は常にあったことでしょう。
 かつて拓留が(拗ねて)乃々に突き立てた言葉の刃は「依存心の裏返しによるもの」という側面が大いにあったことでしょう。しかしそれがいかに身勝手で残酷なものであったかを、川原くんという第三者の口を介することによってあらためて拓留自身が目の当たりにすることになるわけです。

 一方で拓留と川原くんとでは明確に違う部分もまたあります。以下は7章のあるシーン、

久野里たちに先んじて山添うきを確保しようと行動を起こす拓留
そんな彼の胸中には幼少時の苦い記憶があった
幼い拓留が病院の地下で見た名も知らぬ少女は、来栖乃々の親友である南沢泉理だった
じつはその南沢泉理さん本人がいま目の前にいるんですけどね……

 泉理がその能力で乃々に姿を変えた後、彼女に対し当時の同級生たちは「死んだ泉理のことは早く忘れたほうがいい」と口々に言ったそうです。
 それは渋谷地震で母と親友を同時に失って、人が変わったように落ち込んでいる乃々(じつは本当に中の人が泉理に変わっていたわけだが)を慰める意図によるものだったでしょう。しかし泉理の死を共に悲しもうとする者が誰もいなかったこともまた事実です。

 そんな中で拓留だけが名も知らぬ少女——南沢泉理が病院の地下で独り苦しんでいた姿をずっと覚えていたのです。そして泉理もまたその事実を認識していました。家族として共に過ごすうちに、拓留は「病院の地下での体験談」を訊かれるともなしに乃々(泉理)に対して話したことがあったからです。……目の前にあのときの少女本人がいるとも気づかずに。
 ……乃々(泉理)が拓留を特別に気にかけている理由の中にはそういった事実もまた含まれているのでしょう。



【南沢泉理 と 川原雅司】


乃々編における泉理のモノローグ
泉理のことを拓留に尋ねられた川原くんの発言

 泉理は乃々(本物)に対して強い憧れとコンプレックスを抱いています。
 これに関して、もし両者の関係が「乃々と泉理」の二人だけで完結していたのであれば、

「乃々は全然そんなこと思っていないのに、泉理が一方的かつ勝手にコンプレックスを抱いている」

という解釈もできたかもしれません。
 しかしここに「二人の共通の幼馴染である川原くん」という存在が加わると話は一変します。言うなれば、

「泉理の抱いているコンプレックスに川原くんという第三者がお墨付きを与える」

形になるわけですね。ちょうどギガロマニアックスの妄想が、

「一人で考えているだけならただの妄想に過ぎないが、他者と共有されることによって現実となる」

のと同じように、泉理にとって彼女の抱いているコンプレックスは「他者によって保証された事実」なわけです。
 川原くんは来栖乃々を演じている泉理に好意を寄せていますが、

「川原くんが好きなのはあくまでも来栖乃々であって、南沢泉理のことなんて好きじゃないし正体を知れば嫌うはずだ」

と信じるには上記の事実は十分すぎる材料だったはずです。そしてその確信は「あるいは拓留も」という想いにも繋がっていったことでしょう。

 ……ポイントは「泉理自身が自分のことを嫌っている」というところでしょうか。
「特別」に憧れてあがいていた拓留の苦悩は泉理には痛いほどよくわかったはずです。わかるだけにそれが自身の抱えるコンプレックスと結びついて「もし真実を知れば拓留は失望するかもしれない」という不安は膨らんでいく。

 共通ルートにおける泉理は「拓留がいかに家族を大切に想っているか」を知らないがゆえの不安がある。
 一方で個別ルートにおける泉理は、おそらくは世莉架のディソードを通じて「拓留が家族のことを、とりわけ乃々を非常に大切に想っている」ことを知ったでしょう。しかしそれを知ればこそ、

「彼の好意はあくまでも来栖乃々に向けたものであって、南沢泉理に向けたものではない」

という新たな不安がもたげてくる。
 あるいはこの不安はかつて彼女が抱いたどんな不安よりも大きかったかもしれません。

 震災で両親を失い、親友を失い、そして自分自身の名と姿すら失った泉理にとって青葉寮はゼロから築き上げた第二の人生そのものでした。そして世莉架は家族以外では泉理がただひとり「下の名前で呼ぶ」無二の親友だと想っていた相手だった。
 やがて結衣を失い、世莉架に裏切られ、佐久間という家長を失い、慣れ親しんだ青葉寮を出ていかざるを得なくなった。そんな泉理にとって残された家族は最後の拠り所だった。
 そんな残された家族すらも自分が正体を明かすことでもし失われるとしたら……その可能性がほんのわずかでもあると思うだけで泉理は気が狂わんばかりの想いだったことでしょう。
 
 

【まとめ】


 物語の構造上、 

「『本物の家族じゃない』と第三者の立場から口にする人間」

「乃々と泉理の共通の幼馴染という立場から泉理が抱いているコンプレックスを保証する人間」

そうした役割が必要とされ、その業を一身に背負ったのが川原くんという存在だったのではないでしょうか。
 拓留の視点を中心に見た川原くんはたしかに「嫌なやつ」ではあります。しかし極悪人と言うほどでもなく、どこか等身大の生々しさを持ったある意味で「普通の人間」です。それでいて無名のモブでもない。
 もし仮に「心無い世間の声」というものを象徴する存在が有り得るとしたら、それは世莉架のような特殊な成り立ちの存在や佐久間のようなマッドサイエンティストでは務まらない役割でしょう。川原くんが劇中において果たした役割は「彼でなければ果たせなかった役割」でもあったと言えるのかもしれません。


【姉 と 女帝】


 さて、蛇足というか補足。
 乃々と拓留の関係に対する川原くんの認識について、以下の画像を御覧ください、

などと言う川原くん

 乃々(泉理)のブラコンぶりを知っていれば「そんなわけないだろ」と思うところですが、あるいは川原くんは「それ」を知らなかったのかもしれません。
 以下、それに関する傍証をいくつか並べてみます――

1章。拓留の教室にて
もう3年にもなるのに、乃々と拓留が姉弟であることを知らない生徒もいる模様
2章。生徒会室で雛絵に拓留のことを紹介するときの乃々
2章。青葉寮で皆と夕食を終えた後で、誰もいない拓留の部屋でひとり物思いにふける乃々

 こうした言動や記述を見るに、学校にいるときの乃々は基本的に「女帝モード」で拓留に接しているのだと思われます。例外は親しい人間しかいない新聞部の部室や、二人きりの屋上など限られた場と情況だけでしょう。
 つまり「ブラコンのお姉ちゃんモード」でいる乃々の姿を大半の生徒は知らないということになります。もちろん川原くんも知らないでしょう。
 であるなら川原くんが「乃々は人が良いのでただ拓留に同情してるだけ」と感じたのも無理はないかも知れません。特に川原くんの立場からすれば「そうであってほしい」という願望もあったでしょうからなおさら……。

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