尾上世莉架と来栖乃々 対照的な配役の二人 ~CHAOS;CHILD(カオスチャイルド)考察~

※本編を履修済みであることが前提の記事ですので、未プレイの方が読むことは御遠慮ください









【前段】

 本作の尾上世莉架と来栖乃々は様々な意味で対照的な存在であるように思う。
 あるいはどこか似たところがあり、そして似たところがある分だけ決定的に何かが違う。
 二人とも主人公である宮代拓留のことを大切に想っており、と同時に彼に対して「重大な秘密」を抱えている。そして両者とも「ある種の二面性」を有している。


【年下の幼馴染 と 義理の姉】

 まず宮代拓留にとっての尾上世莉架は「自分が庇護してやらねばならない妹分の幼馴染」である。
 そして宮代拓留にとっての来栖乃々は「保護者面で世話を焼いてくる血の繋がらない姉」である。

 この時点で既に対照的な二人ではあるが「両者の正体」に目を向けて見るとさらに面白い。

 尾上世莉架の正体は「拓留のことをネグレクトしていた両親の代わりに彼が生み出したイマジナリーフレンド」だった。
 来栖乃々の正体は「その友人である南沢泉理がギガロマニアックスの能力で乃々の姿を模して成り代わったもの」だった(本物の来栖乃々は震災時に死亡)。

 拓留は世莉架を保護者としてリードしていたつもりでいたが、実際には世莉架のほうが拓留をリードしていた。
 乃々は「誕生日が自分のほうが早いから」という理由で拓留に対し「姉」を称していたが、その正体である泉理はじつは拓留よりも誕生日が遅い――つまり「誕生日理論」でいえば泉理は実際には拓留にとっての「妹」にあたる。
 保護すべき対象だったはずの幼馴染は「実際には保護者代わりだった者」へ、逆に保護者代わりだったはずの姉は「兄として保護すべきはずだった者」へとその姿を変える。
 拓留という点を中心にして世莉架と乃々はどこまでも対照的な存在だ。


【娘 と 母】

 主人公である宮代拓留が両親からネグレクトされていた事実。そして青葉寮に集まった他人同士により作り上げられた家族。本作では「家族」関係に大きく焦点が当てられている。
 ここでは「家族」という関係から世莉架と乃々を少し掘り下げてみたい。

 親からネグレクトされていた拓留が孤独を埋めるために創り出したイマジナリーフレンドが尾上世莉架という存在であるということは既に述べた。
 いわば世莉架は拓留にとって「親の代わり」であると同時に、拓留に生み出された存在という意味で彼にとっての「娘でもある」と言えるだろう。
 ——虐待は連鎖する
 そんな言葉がある。
 虐待を受けて育った子供は、自身が人の親になったとき、かつて自分がそうされたのと同じように我が子に対し虐待を行う確率が高いという話だ。
 世莉架が徐々に壊れていった理由が「拓留の心が自分から離れていった」ことだったとすると、拓留もまた自分の親がそうしたのと同じように自身の娘である世莉架を無自覚に蔑ろにしていたと解釈することもできるかもしれない。
 しかしながら最後には拓留は世莉架の行動の責任を取り親としての責任を果たした。それが本作のTRUEであると考えると彼の決断が持つ意味は大きいように思う。

 さて、世莉架を「拓留の娘」に見立てたときにおける来栖乃々の位置付けはなんだろう。
 設定上は「義理の姉」である乃々だが、しかし実際の役割としては「母」のそれがより近いのではないだろうか?
 来栖乃々は一部のファンからは「ママ」と呼ばれるほど母性溢れる存在だが、これは「世話焼きの姉を描いたらたまたまそうなった」のではなく、おそらく意図してのものだろう。

 青葉寮にやってきた当初の拓留は意識不明の昏睡状態にあった。
 そんな拓留の面倒を買って出たのが先に青葉寮にいた来栖乃々である。
 乃々は拓留が目覚めるまでの世話をし、そして目覚めた後——寝返りすら満足に打てないほど衰弱した彼のリハビリに付き添い介護していた。この、

 意識の無い状態の世話
  ↓
 目覚めへの立ち合い
  ↓
 自分の足で立つまでの世話
 
という経験の流れは「身籠った胎児が産声を上げて自らの足で立つまでを見守ってきた母親」のメタファーなのではあるまいか?
 実は乃々のこの行動は当初は純粋な善意からのものではなかったことがスピンオフ小説である「とある情弱の記録」で明らかにされている。
 しかし拓留の世話をするうちに、いつしか彼の回復を心から喜ぶようになっていったこともまた同小説の中で明らかにもされている。
 拓留の世話をするうちに乃々の中に芽生えた感情は比喩でもなんでもなく「母性」そのものだったのではないだろうか。
 両親からネグレクトされていた拓留が心の底で求めていたもの。と同時に「求めているという事実を認めたくなかったもの」を来栖乃々は拓留に与えた。それが世莉架を狂わせていくことになるのだが……。


【OVER SKY と REAL SKY】

 世莉架と乃々の対照性は個別ルートにも現れている。
 一般に「共通ノーマル」と表現されることの多いOVER SKYだが、ある意味でこれは「世莉架と結ばれるEND」ではあるだろう。しかしこのルートでは乃々は死んでしまう。
 打って変わって来栖乃々ルートであるREAL SKYでは世莉架が死ぬ。
 世莉架と乃々は「どちらかと結ばれたならもう片方は死ぬ」という関係性の上に存在する。
 その他の個別ルートでは世莉架も乃々も死なないが、しかし「選ばれた他の女性」はそれぞれ過酷な運命へと投げ出されることになる。

 ……なぜこうしたことになるのか?
 俗な言い方をすれば「世莉架がヤンデレ化してしまったから」である。
 本来なら拓留に願いを叶えさせ楽しませるのが世莉架の役割だったはずだが、いつしか自分(世莉架)以外に拓留にとって大切な誰かが存在することが許せなくなってしまった。
 世莉架にとって「拓留が自分以外の誰かと結ばれて幸せになる」光景を目にすることは耐え難いことだったのだろう。
 ゆえにゲームメイカーである世莉架に導かれた結末はいずれも過酷な運命を辿らざるを得なくなる。……REAL SKYを除いては。

 来栖乃々ルートにおける世莉架の振る舞いは、一見すると正体が明らかにされ自暴自棄になった末の暴走であるかのように思える。
 しかし最後の行動と発言を見れば「世莉架の目的は一切ぶれていなかった」ことがわかる。
 真実を打ち明けられずに二の足を踏んでいる乃々の背中を強引にでも押し、あえて自分が悪者になることで拓留と乃々の仲を取り持つ。そのために一芝居打ったのだろう。
 また上記のこの行為からは、

「他の誰かと拓留が結ばれて幸せになるのは嫌だけど乃々にならば拓留を任せていい。でも生きてその光景を目にするのは耐えられそうにない」

という世莉架の想いも窺い知れる。
 一般的な尺度で言えば個別の中で最もハッピーエンドに近いであろうREAL SKYだが、しかしそれは世莉架が自ら犠牲になる道を選ぶことによって成される。
 OVER SKYでは乃々が救われないようにREAL SKYでは世莉架が救われないのである。


【世莉架 と 乃々】

 最後に「拓留を起点に見たそれぞれの関係」についてではなく「乃々と世莉架同士の関係」について軽く触れておきたい。
 乃々は家族のことは「名前」で呼ぶが、家族以外の人間は親しい間柄の者でも「苗字」で呼ぶ。そんな乃々にとって唯一の例外は尾上世莉架である。
 乃々は家族外の人間の中で世莉架のことだけは「名前」で呼ぶ。この一時から乃々にとって世莉架がいかに大切な人間であったかが窺い知れるかもしれない。
 個別ルートでも世莉架と直接対峙し、

「タクのこと……よろしくね……」

と言葉をかけられるのは乃々だけである。
 互いに己を偽っていた者同士だが、しかし彼女たちの全てが偽りだったわけではなく拓留を想う気持ちはいずれも本物だった。同じように世莉架と乃々の間に結ばれた絆もまたその全てが偽りだったわけではなかったのかもしれない。

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