終焉
終焉を迎える準備。
のために、私は今授業で昨年の制作展で出したライブパフォーマンスの創作ノートとやらを書いている。それはそれは恐ろしいもので芸大とまではいかないものの勉強をしていない大学生からすれば5000字とは強敵でしかなく。
何でも屋さんになりたくて大学に入った。
でもやっぱり大好きな音楽を専攻していて、音楽に悩まされていた。仲間はいい人ばかりで毎日遊んで楽しく暮らしている。
それでもやはり、人はひとりで生と向き合っているから嫌になる。どれだけ支え合おうが、環境の違うところで育った他人は、ふとした瞬間に遠く感じてしまう。友達や恋人。大切な人が遠い。そう思いたいなんて望んじゃないのに。
でも唯一、家族というのはそうじゃない。私は恵まれて育ったからそう思うのだと確信しているが、いつだって母は私の好きなものは自分の分を犠牲にしてまでくれるし、最後の一口もくれる。休みの日でも私が朝早ければ起きてくるし、いつだって家には食べるものがある。
そんな母になれるだろうか。大学という組織に甘えていた私が終焉を飾って社会に放り出されて、あわよくば今の家族を離れて大切な人と一緒になって暮らして人を0から育てることができるのだろうか。
できないと今は思う。謎の勢いだけ。それはきっと理想だとか希望。現実じゃない。
生きていくにはずっとお金が付きまとう。愛だけじゃうまくいかないことだってある。
でもそれだけでいたくない。お金が全てじゃないと謳っていたいし、愛が全て解決してくれると思っていたい。
現実がそうじゃなくても、映画やドラマ、音楽や小説には少なくともそうであってほしい。
希望を捨てないようにね。
大切な人が信じてくれるなら、自由に生きたい。
大切な人を信じているから、自由に生きてほしい。
人って難しい。自分ってなんだろう。
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