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ヒス母とモラ父

今日はちょっと攻めた内容について書きたい。

私の妹はシングルマザーだ。

身内にシングルマザーがいるので、一人で子供を育てることの大変さも私は少しはわかっているし、その子供が抱えている悩みも少しはわかっているつもりである。

なのにそれでもなぜ自分がこんなにも選択的シングルマザーになりたいのか考えていて、最初はパートナーを見つける時間や自信や余裕がないからだと思っていたけど、どんな困難が待ち受けていても、私はあえて選択的シングルマザーになりたい強い想いがあるのだということに最近気づいた。

私は、子供のことを自分のことよりも大切に思う父親が出てくる映画やドラマ小説が大好きだ。
そんな父親像に憧れていて、自分の父がそんな父だったら良かったなといつも思っているからだ。
自分の周りでは、そういう父親は自分の親含めて、どこにも見たことがない。だから幻想だと思っている。
きっと地球上のどこかにはいるんだろうけど、すごく少ないと思う。
現実の大半の父親は子供のことよりも自分自身の方が大事である。

だから父親というものは、常にどこか理不尽さがあるという偏見が私にはある。

一方で母親は、自分のお腹を痛めて産んだことに加え、母性があるので、子供のことを自分のことよりも大切に思うのはある程度当たり前で、基本的に愛情には溢れている。だが、そのため愛が深すぎて、恩着せがましくなったり、常に感情的である。
冷静で達観的な母親を見たことがない。自分の周りでは、そういう母親は自分の親含めて、どこにも見たことがない。
これもきっと地球上のどこかにいるんだろうけど、すごく少ないと思う。

だから母親というものは、常に何でも無駄にドラマティックにするという偏見が私にはある。

ヒス母とモラ父というのが日本の典型的な両親像であるらしいが、これは、日本に限らないと思う。
海外でも表面的にはハッピーに見えていても、根底ではこの構図の家族が多いと思う。
子供の思春期✖️両親の更年期の化学反応によるものかもしれない。

我が家もまさにこのパターンだった。
私はその中で、母にも父にもそれぞれ違う観点からディスられて育ってきた。
それが虐待でないことはわかっているし、そのおかげで罵倒されすぎて鋼のハートに成長したので、何を言われても傷つかない心を手に入れることができた。
ただ、家族での楽しかった思い出は正直人生で一つもない。妹に至っては両親に完全に心を閉ざしてしまった。
両親には何不自由ない暮らしをさせてもらったので感謝しているが、楽しかったかそうでなかったかはまた別の話である。

そんな幼少期やティーン期を過ごして来たので、私は「母と父が揃っていること」に対しての恐怖症になっているということに気づいた。
友達の家では仲の良い両親がいることがあるが、その両親の価値観が仲が良いが故に一致していても怖かった経験がある。
その両親の価値観が明らかに間違っていても、家の中で大の大人2名がそのことを主張してきたら、子供は絶対に意見を持っていても逆らうことができない。宗教の押し付けとか最たるものだ。

だから、時々私は、私の両親が仲が悪かったことが良かったと思うこともある。両親の意見が食い違うことばかりであったため、私は常に客観的にどちらが正しいか、どちらの意見を選ぶべきか都度評価できたからだ。
問題はどちらかの意見を選べば、どちらかに叱責された。永遠にそのループから抜け出せなかったので、最終的に家を出た。

いずれにしても、書物や過去の賢人たちの知識では、両親が揃っているっていうことが正解なのだが、両親が揃っていても幸せな家庭を目にしなかったことで、自分の哲学上、「両親がいる」ということ自体が逆に不正解に変わってしまった。
街で両親が揃っている家族が歩いていて、その家の子供の不穏な表情を目にした時、自分の幼少期がフラッシュバックして、背筋がゾッとする瞬間がある。赤の他人なのにその間に走って入っていってその子を抱きしめてあげたくなる。

きっと私の意見は批判されるに値するのだろうが、ただ、今の時代、両親がいるということだけが正しいとかもはや言えないだろう。
だって、私自身正直幸せとは言えない幼少期だったし、常に幼き頃から両親のことで毎晩悩んでいたから、自分自身が証明している。
動物が子供を育てるときだって、両親のどちらかがいないということは全然ある。
一生懸命愛情を持って育てれば、片方だけが育てることに、全然遜色はないと思う。

だから、私は、選択的シングルマザーになるという目標が自分の中で一番しっくり来るのだ。
自分の経験を通して、親というものがどういうことをしたら、子供に取って辛い思いをさせるのか、痛いほどよくわかっている。
だから、自分の人生を犠牲にしてきた分、自分の子供にはできるだけ精神的に辛い思いをさせないようにしてあげられる自信があるし、何よりも、そのことに、全身全霊を捧げられる決意がある。

将来的に科学が発展して、赤ちゃんは母親のお腹ではなく、人工子宮からも生まれる日が来る日はそう遠くないだろう。
子供の産み方すら千差万別になる時代が来るのだから、親のあり方も沢山あって然るべきだし、本当に意味での正解は見つかっていないのだから、自分が望む親のあり方を選んで良いと思う。

愛情を持って子供と向き合った上で、それでもその後問題が浮上したら、それはそれでその時に全力で話し合って解決していけば良いのだ。

人間はまだ進化の過程の途中にいる。
進化していく上で、選択的シングルマザー/ファーザーという在り方が生まれたのだと私は思う。
その先の未来がわからなくとも、私は新しい方に挑戦してみたいのである。



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