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生理の来ない2周期目と3周期目のはざま

2周期目もだめだった。

前回は正式な妊娠検査をする前に生理が来たので終わりの前に新たなスタートが始まったが、今回はまだ生理が来ていない。
私は生理周期が短いので、生理が遅れる方が全然良いのだが、今は周期が終わっているのに新たな周期を始めることができず、2回目にしてもう麻痺してしまったのか、悲しいという感情はあまりなかったが、何もない空白の世界に一人取り残されたような感覚になっている。

どうやら自然妊娠でも3回以内で授かれるのは早い方らしく、私はドナー精子との受精であるため、ただでさえ自然妊娠はすっ飛ばしているので、2回以内で妊娠できるなんて無理に近かったのだろうから仕方ない。
またさらに調べたところ、卵子の準備期間は3ヶ月ではなく、なんなら5ヶ月かかるらしいので、前回は妊活を初めてからギリ3ヶ月だったので、私の卵育が整っていなかったせいもあるに決まっている。

あと、私はすぐに他人に心を開けるようなタイプではないので、心理的なものかもしれないけど、会ったことのない人の精子を私自身の体が受け入れてくれるまでには、少し時間がかかるのかもしれないと考えたら、当然の結果だったような気がする。


久しぶりに誰かと話したくなって、2ヶ月ぶりに母と電話で話をした。
母と話すと泣いてしまいそうだったので、ずっと話すのを避けてきたが、流石にこちらも母や家族のことが心配になってきたので電話をした。

母はもう何も無理しなくて良いと言ってくれた。
私が妊活していることは話していないが、人生が辛すぎると言ったら、十分頑張っているので、辞めたいことは辞めちゃえばいいし、やりたくないことがあるなら、やる気になるまでずっと待てばいい、好きなようにすればいいと言ってくれた。
心が軽くなった。

これまで妊活をし始めてから、私はほぼ妊活のことだけを考えて生きてきた。最初の方はそれで精神が安定していたが、だんだん妊活だけに囚われるようになっていたのかもしれない。

3周期目。私は今までと違うことをしてみようと思う。
自分のことにフォーカスして、楽しいことだけ考えてみようと思う。
何も無理をせず、好きなことだけをして、未来の心配をしないでみようと思う。嫌になったことがあれば、全部辞めちゃおうと思う。
自分を最大限労って、どれだけリラックスして生きられるかだけを考えて過ごそうと思う。

好きなものを食べて、好きな音楽を聴き、好きな映画を観て、好きな本を読もうと決めた。
行きたくないところにも行かないし、嫌な誘いも断ろうと決めた。

ふと思い返してみれば、私は若い頃とても自由な人間だった。
高校生の頃は、放課後に軽音部の練習がなかった日には、学校から新宿まで歩き、毎日のようにルミネザよしもとにアングラ芸人を見に行った。(当時はとんでもない安い価格でお笑いが見れた。)
大学生の頃は、CD屋さんでもシネコンでもバイトしていたのに、暇さえあれば一人で何時間も別のCD屋さんにいてインディーロックを視聴したり、休みの日になれば一人で渋谷のミニシアターに行って新作インディペンデント映画を必ずチェックしていた。ブロードウェイからミュージカルが来日したら必ず観に行った。上野の美術館の展示が変われば必ず一人で見に行った。ボロボロになるまで愛読書をいつも鞄に入れて持ち歩けば、当時はタバコの煙で何も見えない、おじさんだらけの喫茶店でクラブハウスサンドやシフォンケーキを食べながらその本を読んだ。その一人行動の間で、駅の立ち食いそばを食べたり、人気のたこ焼き屋に並んだり、バリキャリOLの時は残業のあと必ず銀座のデパ地下に走って夜になって割引されたセレブの味のお惣菜を買い、下北沢に駆け込んで閉店間際の古着屋でインスピレーションだけで3分で服を決めて買っていた。そして家に帰り大好きな愛犬を愛でて一緒に寝ていた。
そんなわけのわからない、誰にも縛られない生活がとても楽しかった。私は本来そういう自由な人間であったことを思い出した。

私には妹の娘である姪っ子がいるが、姪っ子はなぜか一族の中で唯一の血液型の私と血液型も一緒で、性格も私の生き写しのように似ている。彼女の笑うツボや書く字も私と同じで不思議なことに彼女は妹よりも私に似ている。
一番ミラクルだったことは、私しか知り得ない、私が作り出した謎の言葉(文字の羅列)を、その言葉を知るはずのない姪っ子がある日突然発したことだ。この世には理屈では説明できないことがある。
姪っ子を妊娠しているとき、妹は好きなものを食べて、好きな音楽を聴き、好きな映画を観て、好きな本を読む、自由な暮らしをしていた。
そしたら、好きな時に歌い、好きな時に踊り出す、自由な娘が生まれた。

私は本来、自由な世界で自分らしく生きる人間だったことを忘れていた。
自分が年齢を重ね、社会的責任が増していったことと、海外で生きるという必死な暮らしに追われ、本来の自分を見失っていったような気がする。

私の知っている自由な世界を、私のベイビーちゃんにも教えてあげないと行けない。
それが私があげられる最大のプレゼントなのだから。
今日は私の自由な暮らしを心に誓った記念日なのである。


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