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恥ずかしくて見れない話

NetflixからU-nextに移籍した。

Netflixは1年ほど視聴していたが、結局Netflixが作るオリジナルドラマはたいてい3,4話ぐらいで止めてしまうので、きっと自分にとって映像の物語は2.5時間位で決着がついて欲しいんだろうと思う。今日は2時間位かけて邦画コンテンツを古い順から全部見て、リストに入れる作業を楽しんでいた。

邦画ってつくづく、ヤクザと寅さんと変身ヒーローでできてるんだなぁ・・・と思いながら年代順にリストをみていると、岩井俊二の作品群が現れた。大学生の頃、講義の合間の時間を映画化研究会のサークル部屋で過ごさせてもらっていたが、その時よく部屋にいた女の子が岩井俊二フリークで、部屋のプロジェクターでよく鑑賞させられた。(ついでにいうとその子はゲンズブールも大好きで、僕らはそのかわいい女の子に気に入られようと、ウンウンうなずきながらその魅力を拝聴していたが、まぁ結局最後までよくわからなかった。)

もののついでに『PiCNiC』を見てみたのだが、なんかもうすべてが恥ずかしくて10分も見ていられなかった。こういう映画は「年代っぽさ」が強調されればされるほど、その年代が過ぎたあとはこっ恥ずかしくて見てられないのだが、それにもまして当時の僕たちが抱えていた、はち切れそうな承認欲求と、窒息しそうな自意識と性欲と鬱屈が、岩井俊二「っぽさ」と見事に化学反応して、えも言われぬ発酵臭を放っていた。ザラザラした画面とフラフラ揺れるカメラワークが、「ほらこれなんだよねーわかんない人にはわかなんないと思うけどさ」と斜に構えて喋りかけているようで、「あ、はい、もうなんかすみません」と震える手で停止ボタンを押した。しばらく近くのネコの頭の匂いをかいで落ち着きを取り戻した。

いやしかしなんという破壊力か。いつかこれをまた懐かしく見る事もできるんだろうか。くらばらくわばら。しかし「GOEMON」はみんなが言うほど悪いわけでもないと思うんだけどなぁ。


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