不幸って。
雪の降る2月9日。
悲しみが溢れて零れ落ちたような天気の中、ソフィ カル-限局性激痛を観に原美術館へ。
今回のノートは私の感じたことを残したいと思ってる。
まずは、展覧会の説明から。
今回の作者、ソフィカルはパリ生まれの現代美術作家。現在日本では3つの展示が行われている。そのうちの1つは渋谷のスクランブル交差点で深夜に行われているというから、凄い人なんだろうなあ。
全然知らなかった。笑
この企画は「失恋とその治癒」がテーマ。
99年に行われた展覧会の再現展。ホームページ曰く、
「限局性激痛」とは、医学用語で身体部位を襲う限局性(狭い範囲)の鋭い痛みや苦しみを意味します。本作は、カル自身の失恋体験による痛みとその治癒を、写真と文章で作品化したものです。
失恋をテーマにするなんて興味深い!
1部では、カルの92日間の振られるまでの日々を写真や手紙、文章で追体験。2部では、カルの失恋話と他の人の不幸話が交互に展示されていた。2部の文章は刺繍で綴られていることも面白かった。
見終わって一番最初の感想は、
すんごく重い…
人の感情に引っ張られがちな私にとっては、様々な不幸エピソードが胸にのしかかってきた。カルの失恋のエピソードは何でもないと感じるほど、他の人のエピソードが辛い。
例えば、同性カップルの1人が周りの環境に耐えられず自殺したとか、母親に息子だと思われてないとか。
改めて考えると、「カルの不幸話がなんでもなく思えてくる」ところに意味があるのかな?と感じた。
最初はカル自身も私も、彼女はUNHAPPINESSなんだと思っていた。文章は長く、語り口調も相手を罵るようで、感情的だった。刺繍ははっきり見えて、彼女の心を刺しているのだと感じた。
だが、上で述べたように失恋よりも辛いと感じられるエピソードが出てくるにつれ、大したことないのでは?と思うようになったのだ。(別に人の不幸に優劣も何もないと思っているけれど。)
その変化は文章にも現れた。
最初は、感情的な要素が薄れ事実を述べるように。その後文章が簡潔になり、ありふれた話だと言うようになった。次はもっとこうしよう、という前向きな発言が出てきた。
刺繍は糸の色が変わって、読みづらくなった。彼女の心から不幸が消え去ろうとしていることを表したのかな?と思ってる。
確かに、人の不幸に上下とか優劣はない。その瞬間はその人にとって絶望だし先はないと思えるだろう。
だけど、時が経てばその感情は薄れていくし本人の心の持ちようによって見え方って変わるんじゃないかな?と今回の展示を経て感じた。
ここまでの話とは関係ないけれど、不幸を避ける努力も必要だな。
今回の失恋はカルにも原因があるから、避けようと思えば避けられたんだろう。
観る人によって感想は違うんだろうな。
面白い展示だったので観に行ってない人は是非〜