見出し画像

私の過去

あの時、私を連れて死のうとした母は
今は病気と戦って乗り越えて
いつ再発するかわからない恐怖心と
毎日闘いながら「今日も生きたい」
と思って日々を過ごしている。

死を覚悟して、川の橋に行ったのも
精神的に追い詰められてどうしようもなくて
誰にも助けてって言えなくて。

5人の兄弟を抱えて収入も無く
ただ不安と孤独と他にも重圧があった中
あの時、思い止まってくれてありがとう。

私は、川で大きい声で叫びながら
お母さんやだ。死なないで。
いやだ。やめて。ひとりにしないで。
お母さんがだいすき。
いなくならないで。

と大きな声で叫んでも
お母さんが冷静な状態でどこか冷たくて
車の音でかき消されて、誰も止めに来てくれなかった、時間がとっても長く感じた。
きっと10分も経ってないだろう。

27歳になった今でも忘れたことはない。

あの時、母の知り合いが
通りかかってくれなかったらきっと、
私も母もこの世に居なかった。

でも、あの時
ひたすら泣くことしか出来なかった。
その後は、いつ居なくなるか
分からない恐怖から四六時中付き纏ってた。

母になったからこそわかる。
辛かったよね。ごめんね。
泣いてばかりでわがままばかりで
お母さんから一切離れず、ずっと泣いて
兄弟喧嘩をしまくって家中ボコボコで
誰かしら怪我をしていて。そりゃぁ嫌になるよね。


なんで、あなたは2歳〜17歳の子供達5人と
妻になってくれたお母さんを置いて
給料日の日帰ってこなかったの?

どうして、私が2歳のタイミングで家を出て
やっと見つかったのが15才の時だったの?

もっと早く離婚できてれば…
きっともっと違う母の人生も遅れていたはず。
何も言わずに出て行って逃げ隠れをして
お金も残さず、出て行ったの??

私がお父さんと呼ばれる人と初めて喋ったのは
「○○、ごめんね。本当にごめんね。ごめんなさい。」ひたすら謝罪を述べているあなたでした。


私が生まれてこなければ。
4人兄弟と夫婦関係うまく行ってたのかな。
何回、自分を責めたんだろうか。

だけど、今だから言える。
お母さんが笑っている姿を見たい。
悲しい顔、苦しい顔じゃなくて
自分のために生きている人生をみたい。
それが、子供である私の幸せだよ。
私を、産んでくれてありがとう。
こんなに仲間ができて、
何かを挑戦しようと思えたのも
あの時必死に叱って泣いて、止めてくれたから。

過去を変えることはできない。
散々危険な思いもしたし、
自暴自棄に落ちた時もある。

だから、未来を変えたい。

1人だけで抱え込む人が1人だけでも減ったら。
ただ、おはようと挨拶をしに来てくれる人が、
挨拶からちょっとずつお話を出来る様に。
そしていつかは頼ってほしいし、頼らせてほしい。

人は1人では生きていけない。
何歳になっても、環境が違くても
孤独ほど辛いものは無いからこそ
いつ来ても居るよ〜☺️という場所を作りたい‼︎
それだけでは、生活が成りたたかないから
まずは小さく初めて見る。

頼って頼られて、支えて支えられて、
笑って、泣いて一緒に楽しめる場作りを一緒にしたい。

家族や知人に見られたく無い記事だけど、
私の原点はきっとここ。


ブログ超初心者が書いた記事なので
読みづらいかも知れませんが、
何度も泣きながら気持ちを
整理しながら書きました。

いつも♡ありがとうございます🙏


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?