ニセクロナマコを探しています。

普通のナマコでは駄目なんです。

友人が、ニセクロナマコを飼育したがっていた。
やや過去形である。

というのも彼女、ニセクロナマコとコミュニケーションを取りたかったらしい。

おはよーとかごはんだよーとか。声をかけたら、ぴくりと反応してくれるくらいでいい、そういったささやかな関わり合いがいいの、とはにかむ。

しかし。

ニセクロナマコ、もといナマコ全般。

脳がない、そうだ。

おーのー。
コミュニケーション、取れないんじゃない?

彼女はいたく落胆していた。
それでもニセクロナマコに癒されたいと、エアニセクロナマコに専念している今日この頃である。
脳内では、リアクションをとってくれる理想のニセクロナマコと戯れていると思われる。

ペット用ナマコ、というか水槽掃除用ナマコは、ネットで購入できる。
しかしニセクロナマコはみつからない。
彼女はニセクロナマコをご所望である!あのフォルムでなくてはダメらしい。
どなたか見つけたらお声をかけてください。是非に!

さて。ツッコミどころがいくつかあったと思われるので補足してゆこう。

この夏、友人の心身の疲労はピークに達していた。
ただでさえ華奢なのに、見るたびに痩せてゆく。羨ましいなどというレベルはとうに越えた。

かねがね人不足による仕事の忙しさを心配していたが、もうそこは置いといて、人間関係が何より辛いという。
置いておけるのか、あれを!と驚愕したが、仕事はやったぶんだけ必ず片付いてゆく。しかも理屈でカタがつく。
でも人間はそうはいかないのよね…と遠い目をする。
話を聞く。
1人、完全にヤバいのがいる。

直ちに逃げろ、と言うしかなかった。
だが選ぶのは彼女だ。
真面目で責任感の強い彼女は、どんなに止めてもギリギリまで残るだろう。
しかしそんな彼女の信心を試すかのように、事態は悪化する一方なのである。

可及的速やかに癒そうと、ベタながら水族館に誘った。

かなりまったりと長居したその帰り、磯遊びを模したふれあいコーナーで子供たちに交じって遊んでいた彼女は、出逢ってしまった。

ニセクロナマコに。

小一時間。ニセクロナマコを両手に乗せ、時々解放してはまた両手に乗せ。

手のひらに乗せるとひんやりと冷たく、しっくりとくる絶妙な重さのニセクロナマコ。
動かそうとすると、小さな小さな無数の吸盤がちみちみぷちぷちと抗いながら外れ、水底へころりと転がりおちる。

たまらなく癒されると言う。

帰りの電車の中でも、ニセクロナマコを両手に乗せる。
目を閉じてかわいらしさをイメージする。
時折、さも愛おしげにふわふわと上下する両手。

エアニセクロナマコだ。エアだ。

ハタから見たらあやしい信仰宗教の儀式でしかない。
だが疲弊しきった彼女からしたら、世間の目なんぞより己の生命の維持が優先なのだ。

後日、喫茶店で彼女と会った。
間接照明が物憂げなカウンターに並んで腰掛け、しばし沈黙があった。
『ナマコって…脳がないんですって』とやうやく彼女は言った。いたく落胆している。
それでも飼うための知識をひとしきり披露し終え、再び沈黙。
そして神妙な顔で一言。
「初めてコミュニケーションを取りたいと思った相手が…ナマコ…」

申し訳ないが、今年イチ笑わせてもらった。

彼女は友達が少ない。生来の真面目さゆえに人間関係を構築するのが億劫らしい。
きちんと関わり合わねばと思うプレッシャーのあまり、逆に面倒になって音信不通になるという傾向がある。
半年メールの返事がなくとも平気という、私のテキトーぶりがちょうど良かったのだろうと思う。
なんだかんだで20年を越える付き合いになったが、浮いた話をあまり聞かない。
可愛らしく、さらには物憂げな雰囲気やざっくりとまとめた髪が色っぽく、モテはするのだ。
だがやはりとことん面倒なのだと思う。
そんなにおっしゃるのであれば…と思わないでもない事もあるようだが、結局は早々に音信不通にしているようだ。

そんなバックボーンがあっての発言である。
私はカウンターに伏せて大いに震えた。

最初は、言葉少なな私達に、まったりですねえ、なんて声をかけてくれて、BGMの選曲や音量なども気にかけてくれていた若い店主は、途中からこちらに背を向け、一切振り返らなくなった。
とんでもねえ奴らだと、思っていたに違いない。

そんなこんなで、ニセクロナマコを探しています。
情報求む、です。

もうこの際、水を吸わせ放題吸わせてふやかした冷えピタでいいんじゃないかな…と思っていることは秘密である。

おいしいものを食べます。