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CHOCOLAの原点

私の父と母は四十三年間、堺の南海電車の湊の駅前で焼肉屋を営んでおりました。
めちゃくちゃ美味しいタレとお肉もサイコーで、
死ぬ前に再びコレを食べて死にたい!と
切に願うよ、堺出身、大阪で産まれた女やさかい〜♫

両親の店は『名月』という屋号で、父はいつも白衣に紺のズボン、白の前掛けをキュッと腰に巻き、頭には手拭いを少し帽子風に巻いて、独特な美的センスとスタイルは粋にみえました。「いらっしゃい」「マイド!」
私たち四姉妹には見せていないけれど、お客さんとは下ネタで盛り上がるような所もあると聞いて、ホッとした。

母は毎日エプロンを着け、家の台所に立ち、夜の忙しい時間帯に、店へ行く時も、一日中エプロン姿の人だった。
「お店へいってくるね」「いってらっしゃい」
新しいエプロンの日は口紅がちょっと濃かった様な気がする。
毎朝ベランダで、父の白衣と前掛けを母が漂白していた。
その後ろ姿、記憶の中で、父と母の色っぽさも感じられて嬉しい。

両親が店を閉めた後、友人のコジマくんが受け継いで
ホルモンかもめと云う名店をこさえ大繁盛していて最高です。
その二階で赤ちゃんの頃から四歳まで暮らしていた。
柱に書かれていた、私の成長の傷跡を残してくれているって。

カウンターだけの小さなお店。
きっと父と母のステージだったよね。
そこに私もいた。
CHOCOLAの原点。
今ならそれがちゃんと解る。

KAEDE&CHIZURU       PHOTO / PORCO   @ヤハラヅカサ

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