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【センイル】私は、あなたのように生きてみたい


私は、あなたのように生きてみたい。

ジミンちゃんを見るたびに、そう胸がぎゅーっと痛くなることがある。たぶんこれは、一種の羨望と罪悪感。

メンバーが泣いていたらそっとそばに駆けつけて一緒に泣く、メンバーが笑っていたら一緒に笑う。あなたが嬉しいと僕も嬉しい、あなたが悲しいと僕も悲しい。そんな人間としてあるべき美しい姿が、ジミンちゃんにはある。

どこで読んだのか忘れてしまったけど、ジンくんがコンサートで泣くジミンちゃんをみて、罪悪感を抱いてしまったというコメントを見たことがある。「どうして僕は、ジミンみたいに泣けないのだろう。僕はARMYのことを愛していないのではないかと不安になった」そんなような内容だったと思う。

私はこのジンくんに痛いほど共感してしまった。


入学式、卒業式、大切な人との別れ、目標を達成できたとき、みんな心から泣く。みんな心から喜ぶ。みんな心から笑う。

私は大抵そんなとき、"心から"ができない。

泣けないわけではない。笑えないわけではない。喜べないわけではない。でもどこかで、"心からではない"というのを感じてしまう。

「あ、普段クールなあの人もすごく喜んでるな…私もここで喜んでおかないとな…」「なんか泣く雰囲気になってるな…私も泣いておこうかな…」そんな具合だ。

だから私は、人目も憚らず今感じている感情を、なんの迷いや濁りもなくただ真っ直ぐに表現できてしまうジミンちゃんを、心から羨ましく思ってしまう。彼のように生きられたら、どんなに幸せだろう。

今日はそんな眩しくて眩しくてたまらない、ジミンちゃんのお誕生日。妖精が生まれた日といっても過言ではない、キラキラと輝く今日に、あなたへの憧れの想いとありったけの愛を贈ろうと思う。

等身大の男の子

ジミンちゃんは、「等身大の男の子」だ。等身大の26歳の男の子という意味もあるけど、人間としての等身大を生きている人。

歪な形をしたこの世界のなか等身大で生きるのは、シンプルなように見えてとっても難しい。ほとんどの人は普通、自身の身を投げたその場所で、その型に合うように形を変えながら、自分を壊しては成形し、それを繰り返しながら自分を守っていく。大人になればなるほど、自分に対して狡さや嘘を重ねていかないと、生きていけないことが多い。

でもジミンちゃんは、それをしない。とってもふわふわで柔らかいその笑顔の根底には、「自分が感じたそのもの」を大切にできる強さがある。


2021年9月20日、BTSは米ニューヨークの国連本部で演説をおこなった。それがどれほどすごいことなのか、それは本人たちが一番わかっていたと思う。

緊張を感じれば感じるほど、人はそれを隠そうとする。自分は冷静であると言い聞かせようとする。でもジミンちゃんは違った。「とってもドキドキしてる…もうドキドキしすぎて死にそうだ!」という表情を、惜しみなく全面に出していた。

あの場で冷静さを装うこともなく、緊張している自分を茶化すわけでもなく、真っ直ぐにそれと向き合うジミンちゃんは、私の目にとても美しく映った。今生きていることを、一番に実感している彼が眩しかった。その表情はまさに、当時25歳の男の子として、とても正しいものだった。

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そんな等身大の美しさは、パフォーマンスにもあらわれている。ジミンちゃんのパフォーマンスは唯一無二だ。それは舞踊を基盤にしたダンスや、誰にも真似できない甘くて芯のある高音だけではない。ジミンちゃんの放つ存在そのものが、唯一無二なのだ。

クリエイターや表現者の仕事をしている人は基本的に、既存している作品やアーティストから影響を受けることが多い。第一線で活躍されているとある監督さんから、こんなことを言われたことがある。「すべては真似から始まる」。有から新たな有を生み出す。これがクリエイティブの基本だ。

知らなかったんですけど、どういう服を着ているかによって、曲がちがって聞こえたりもするんです。カジュアルに着た時はとにかくすごく楽しく踊ったんですけど、スーツを着たら曲がセクシーに聞こえたりもして。自分一人で踊る時とグループで踊る時とでも、見える感じがちがうので、そのたびにどんな服を着たらもっとダンスがかっこよく見えるか、想像をいろいろします。


でもジミンちゃんは真逆だ。自分のフィーリングをとても大切にし、そこから生まれた感覚を表現に反映する、無から有をつくりあげる人だ。

自分の理想の基準を、外側ではなく、自分の中に見つけることができるのは、パフォーマンスのときだけではなく、日々等身大で生きることに徹している人であることの証拠だ。(ちなみにお芝居のレッスンでこの訓練をしたことがあったけど、死ぬほどしんどかったです…)


等身大でいることの強さと覚悟 

等身大でいるということは、武器をなにも持たない状態で戦場に向かうことと同じだ。銃を持つことも、鎧を着ることもない。ある武士が戦場に出たとして、武器を持たず鎧も着ていない敵を見つけたら、迷わずその人を攻撃するだろう。

四方八方から飛んでくる銃弾や爆弾は、武器も鎧もない状態の身体を、脳を、心を、容赦無く傷つける。

ジミンちゃんは、なぜか過去に3回もころされそうになっている。BTSを敵と見なした人物が、何も武器をもたないジミンちゃんをねらったのかもしれない。あまりにも卑怯だ。でも彼は、自分のすべきことに真っ直ぐだった。

ファンの皆が心配だ。ステージを待ってくれている人のことを考えると、脅迫に動揺する余裕がなかった。沢山のスタッフに守ってもらっているから大丈夫。心配しないで


ぜったいに、怖くて怖くて仕方なかったにちがいない。でも等身大で生きている彼は、怖さに呑まれることなく、ファンのことを一番に考えていた。自分の怖さなんかより、ファンのため。これはたぶん、彼の本音だったのだと思う。そんな風に思える強さがある人は、宇宙を探してもそう簡単にはみつからない。だからこそ神様はジミンちゃんに「人間としての最高峰の美しさ」を授けたのかもしれない。生涯守り抜ける人だと信じて。

でもジミンちゃんは決して孤独ではない。時には盾となり、お揃いの私服を着て守ってくれる仲間がいる。「ジミンを1人にさせないために僕が95年の最後に生まれてきました」と笑う仲間がいる。一緒に戦ってくれる仲間がいて、盾となり、銃となり、鎧となってくれる仲間がいる。

僕が多くの人たちにしてもらったことについて、僕がその方たちにしたことより、もっとよく考えたような気がします。ファンやメンバーたちに必ず何かをしてあげなければならないということではありませんが、その人たちからもらったことに対する感謝を、改めて切実に感じました。
僕に対して、あふれる思いやりをもって接してくださる方々には、僕もあふれる感情を表に出して近づいていけるようになりましたね。


それは紛れもなく、ジミンちゃんの愛らしく素直で、温かい人柄がつくりあげた、大切な大切な宝物だ。


本当の愛を知っているあなたへ


ジミンちゃんはきっと、自分の存在意義を大切な人の中に見つけられる人だ。

ボンボヤ3では、個人的な事情であとから参加したテヒョンさんに、惜しげもなく自分のお気に入りスポットを紹介して回っていた。とっても嬉しそうに。もはやテヒョンさんより嬉しそうに。テヒョンさんがいないときは「テヒョアー!テヒョアー!」といつも嘆いていたし、ユンギさんが個人的な事情で帰国してしまったあとは、「ユンギヒョーン!」と嘆いていた。(一方で、最愛の弟でありルームメイトでもあるユンギさんがいなくなってしまったことに、素直に寂しさを表現できないジンくんも狂おしいほど愛おしい…)。

コンサート風景やドキュメンタリーを見ても、メンバーが泣いていると真っ先に駆け寄るのはジミンちゃんだ。まるで自分のことのように、感情を共有し、寄り添う姿がある。そこには偽善も嘘もなく、ただ一緒に泣いて、ただ一緒に笑う。大きすぎるほどの愛情に溢れていた。

「僕がメンバーに寄り添ったりするのは、自分のためでもあるんです。」そう語ったジミンちゃんは、大切な人といることで、自分の存在意義を見出し、そんな相手と自分をまるっと愛せる人なんだと思う。

私が幼い頃たくさん読み聞かせてもらった絵本のなかには、人間として生きるための大切な教えがたくさん溢れていた。

「みんなが嬉しいと僕も嬉しい、みんなが悲しいと僕も悲しい」そんな世界と本当の愛をずっと持ち続けられるジミンちゃんは、とっても稀有でとっても尊い。

人々が持つきれいな心があるんですが、それだけは失わないでほしいです。テレパシーについておっしゃいましたが、僕はファンの方々と本当にテレパシーで通じ合っていると思っています。もちろん完璧ではありませんが、本心を伝えれば、きっと感じられると思っています。だからこそファンの方々は、僕たちを応援して、そばに寄り添っていようとしてくださるんだと思います。



私はきっと、あなたように生きられない。だからこそ、あなたがとても眩しくて苦しい。でもジミンちゃんなら、「それでもいいよ」と言ってくれそうな気がするのだ。

あなたには一生、大切な人にたくさん愛されて欲しい。それだけでは見合わないほどに、たくさんの愛を与えている人だから。


お誕生日、おめでとう。

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