アンナチュラルが大好きだけど、MIU404はもっと好きだという話(MIU404感想文)

思いが募りすぎてnoteアカウント作りました。
読解、あるいは曲解、もしくは妄想です。

物語に垣間見えるもの。

「アンナチュラル」の放送は今作の2年前、劇中の時間軸では1年前になる。
言わずもがな、MIU404と同じ制作陣による作品だ。

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アンナチュラルとMIU404には、共通点がいくつか見られる。
「メッセージ」というよりは、同じ制作陣ゆえの、垣間見える「思想」のようなものだろうか。

例えば、犯罪とその動機へのスタンス

アンナチュラルの最終回では、ミコトが「不条理な事件に巻き込まれた人間が、自分の人生を手放して、同じように不条理なことをしてしまったら負け」だと中堂に語りかけた。
MIU404の久住は、「俺は、お前たちの物語にはならない」と、口を閉ざす。
犯罪動機への同情に対する、徹底的な否定だ。

MIU404の方には多少のアクション要素があるものの、両作品とも逮捕劇よりも背景・原因・きっかけを丁寧に描く物語だからこそ、この姿勢が突き刺さる。

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同世代の主人公たち。

アンナチュラルのミコトが33歳、1年後のMIU404では志摩と伊吹が35歳。
2つの作品の主人公たちは1つ違いの同世代だ。

「アンナチュラル」の主人公・ミコトが主張するのは「生の権利」。
一家心中を「自分と子どもが別の人間だということを理解していない。」と批判し(2話)、自殺で抗議を示そうとする高校生には「あなたの人生は、あなたのものだよ」と語りかける(7話)。
ミコトの主張は1話から一貫していて、ブレが無い。一方で、その達観ぶりに距離を感じた視聴者もいたのではないだろうか。

その点、MIU404の志摩と伊吹は随分未熟だ。

「自分も他人も信用しない」という志摩は、6年も自分の心を整理できないし、そんな志摩の心を動かした伊吹も、真っすぐな道を支える「たった一人」を失って足元は心許無い。
ブレブレの2人は、ミコトよりも幾分も等身大だ。

志摩の言動は、格好いいのか微妙なのかときどき分からない。格好よく「こうだ」と断言したかと思えば、言行不一致な行動にでる。伊吹の無茶な運転を窘めた半日後には、それよりはるかに危険な運転で機捜車を廃車にする。
最終回で伊吹を奥多摩に帰すと言い出したのには、思わずここまでの10話かけていったい何を学んだんだ、と言いたくもなった。

不安定な志摩を支える存在かに見えた伊吹は、8話以降、「刑事を捨てても、俺は許さない。」という恩師の言葉に苛まれる。

8話ではUDIとのクロスオーバーもあり、蒲郡と中堂を重ね合わせた視聴者も多かった。
しかし、恋人の復讐に走る中堂でさえ、死が許しにならないことはハッキリ分かっている。
「僕だけが生きてていいのかな」。友人を亡くした高校生に、中堂は「許されるように生きろ。」と声をかけた(7話)。

志摩よりも伊吹よりも、直接的な絶望を経験したはずのミコトは、それにも関わらず、あるいはそれゆえに、「絶望してる暇あったらうまいもん食べて寝るかな。」(2話)とあっさりしたものだ。ミコトのそれは、物語の開始時点ですでに確立されていた。

まわりを固める同僚もみんな大人で、自立しているように感じられる。
登場人物たちが己をしっかり見定めているからこそ、付き合いが長くなくとも「友達じゃない」信頼関係を築き、不条理な死に対し共闘できる。
1話からすでに安定した人間関係を見せていたUDIのメンバーは、しかしミコトのUDI加入からわずか4か月だというのに。

一方のMIU404の2人は、劇中で半年も相棒として過ごしたにも関わらず、拗ねたり、気を遣ったり、疲れたり、自棄になったり。11話になってもまだすれ違う姿には、やきもきさせられた。

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MIU404は“現在進行形”だ。

アンナチュラルが、過去に不条理と向き合ったミコトと中堂たちの物語ならば、MIU404は志摩と伊吹が現在進行形で不条理に向き合う物語だ。それゆえに、志摩も伊吹も予想外の行動をする。そのブレが、ときに視聴者に「分からない」という感想をもたせたかもしれない。
けれど、向き合っては、迷い、悩み、じたばたする、そんな姿には親近感が沸き、いつの間にか愛しく思えてくる。

MIU404をアンナチュラルに勝るとも劣らない名作たらしめたのは、アンナチュラルにはない「分からなさ」ではないだろうか。

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“1つ言わしてもらいたい”こと。

TBSラジオの対談で、「アンナチュラルがちょっと難しかったから、今回はちょっと跳ねた感じに」することになったと語っていた野木さんへ。

1つ言わしてもらいたい。
いやいや、これはこれで「むじーよ」と。


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