気になる人へ

久しぶりにnoteに記事を投稿する。

先日、随分前に書いた記事のいくつかにスキがついた。全部同じ人からだった。
あまりないことなので、どんな人がつけたのか気になって見てみた。

noteのスキは、大体は怪しいビジネスアカウントなどから宣伝目的でつけられることが多い。
そういうアカウントは、投稿してすぐにつけてくるのも多いし、大量にフォローしてるとか、プロフィールの内容がやたらキラキラしてるとか、特徴があるのですぐにわかる。
「お前ちゃんと読んでないだろ」、「家の塀に勝手に貼り紙されてるみたいな気分だ」と思う。
一方で、たまにちゃんと読んでくれたっぽい人もいるし、非noteユーザーからもスキがつくことがある。それらは照れ臭いけど実はちょっと嬉しい。

では今回の場合はどうか。
大量フォローしてるわけではないので、一見すると怪しい情報商材の宣伝アカウントではなさそうだ。
プロフィールもキラキラしていなくてシンプルだった。何なら無職という、どちらかと言えばネガティブ寄りの記載あり。

しかしそれだけでは断定できない。ネガティブな属性を前面に出して、似たような属性・境遇の人たちの支持を狙うパターンもあるからだ。
なので記事も読んでみた。
アフィリエイトやYouTubeチャンネルのリンクも、有料記事もない。
考えてることや体験したことを、とても読みやすく、面白く書いていた。
ビジネスとか詐欺ではなく、ただ自己表現のために書いてるように感じた。
「読みやすいなぁ〜…読ませる文章だなぁ…表現が面白い、もっと読みたいなぁ…」と思った。

まとめると…読みやすいし、読みたくなるし、ところどころ好きな表現が出てくるし、思慮深くて優しい人柄が伝わってくるように感じた。

まあ…書いてあることが本当とは限らないんだけどね。
本当は無職じゃないかもしれないし、過去の体験談なども作り話かもしれない。
もしかして、例えばこれから俺のような無能や弱者を自称する人間に向けて宣伝して支持を集めて、小遣い稼ぎに結びつける下準備とかかもしれない。

そうは思いつつも、スキをつけて頂いたことと、素敵な文章を読ませて頂いたことのお礼を伝えたくなったので、コメントしてみた。
しばらくすると、丁寧な返信を頂いた。
なんか褒められたけど「違う違う、そうじゃない」、「自分はあなたが思うような人間じゃないので…」と、心がムズムズしてしまった
これからも見守ってみたくなったのでフォローもした。
これからの楽しみがひとつ増えた。

無能って何だろう

しかし、読んでいて引っかかったことがある。
記事の中で何度か、「無能」と自称していたことだ。

あんなに素敵な文章を書ける、書いてあることが本当なら家族関係も良好、親友がいる、料理だってできるらしい。
特技がないとか無能とか、時々卑下はするんだけども、それも過度なものではなく、きちんとそれなりの自己評価ができている。
正直言うと…失礼ながら…どこが無能なんだろう?と思ってしまった。

仕事での失敗談、就職活動での苦労、登校拒否や遅れての大学入学などの経験もあるらしいし、辛い経験はしてると思う。

何より現在就労していないことへの負い目、後ろめたさが強そうだったので

働いてない、それだけのことで自分のことを無能と言ってるのかなって思った。

不幸自慢みたいになってしまうけど…俺なんてコミュ障だし、友達いないし、勉強も運動も芸術系の活動もダメだし、免許はあるけど車の運転もできないし、料理もできない。何をやっても人並み以下。ご覧の通り文章力も赤ちゃん以下。性格も最悪だ。そんな有り様だから、当然無職だ。就労支援には通ってるけどそれだけだ。
俺の方がよっぽど無能だよ…!
素晴らしいものをたくさん持ってるのに無能だなんて言うのはよくないよ、本当の無能ってのは俺みたいなやつのことを言うんだよ…と思う(自分で言ってて情けない)。
何がつらいかなんて人によるし簡単に比べられるものでも否定できるものでもないけど…。

まあ…彼女の書いたことを信じるとして、無職であることが自己評価を著しく下げる要因であることはよくわかる。
正直言うと俺だって、もし働けていたら…もうちょっと自己評価がマシになってると思う。
車の運転が苦手とか勉強が苦手とか、そういうことは日常生活でかなり困るし、それ以外にもできないことが多いのはめちゃくちゃ悔しいけど、審美眼とか物の趣味はそれなりっていうか…自分のそういうところは嫌いではないから。こんな俺でも、人生を前向きに考える要素は少しぐらい持っている。

今回のことから考えたんだけど、結局自分は働けてないから自分はダメなやつなんだという気持ちが強くなってるのだと思う。

働いていないということは、義務を果たしていない、社会に貢献していないと他人から見做されることが多い。
白い目で見られる。ダメ人間扱いされる。
そうした他人の評価から一時目を背けることができたとしても、例えば「みんなが頑張ってる、できてることを自分だけはできていない…」みたいな気持ちが生まれてしまうと、それだけで自己肯定感、自己受容感が著しく削られる。
何よりお金がないと好きなこともできないし、生活もできなくなる。

悔しいけど、働いてるかどうかはかなり自己評価に深く関わってくる。

でも実は、自分の評価はともかく…人が働いてるかどうかって他人からすれば割とどうでもいいことなのだ。
俺からすれば彼女が無職であることは自分には関係ないし、働くのが難しいのも共感できるし、素晴らしいものをたくさん持ってるように見える。だから無職であることは俺にとっては大した問題ではない。活動もしてるらしいし結構なことではないか(何様)。

伝えたい、でも読んでほしくない

確かに働かないことはどちらかと言えば良くないことなのかもしれないし、心ない言葉を浴びせたり、見下し差別したりする人がいるのも事実で…
でも何らかの事情で働けない、あるいは働かないことによって自己肯定感が削られるのは、自分で自分に必要以上に厳しい目を向けてしまっているせいの方が多いかもしれない。

まあ…だからと言って活動を放棄したり、開き直ったり、社会を恨んで凶行に走ったりするのだけはダメだけど。

いろいろ書いててちょっとごちゃごちゃしてきたけど…迷惑でないなら俺はもうちょっとあの人の投稿を見守りたい。
素敵な文才を持ってるからそれを大切にしてほしい。あの文才は宝だよ。俺はそう思う(褒めすぎか?)。
書いてあることが本当なら…だけど。

本人に読まれたら恥ずかしいな、ガッカリしないかな、傷つけるかもしれないな…読まれないことを祈りつつ先に謝っておこう。
すみませんでした。

幻滅されたなら仕方ない…それだけのことを書いたのだから。でももし許してくれるなら、どうかしばらく見守らせてください。これからも楽しみにしてます。


以上

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