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#169 明日はスポーツの日。

タム、こんにちは。

ありがとう。

余裕がない、、、その後どうかな。
私はまさしくリアルタイムで母に苛ついていたところだよ。この気持ちをどうしてくれようかとnoteを開いた。
『私の気持ちをわかっていない』
『わざわざ先週1枚に大きなめ字で手紙を書て送ったのに、内容も理解していなければ覚えてもいない。』『もし理解したうえでのその反応なら、私が引き下がるべきだと思う。親の子への思い通りにしたい気持ちをそのままにするのは良くないのではないかとも思う。』ということを実感して、うんざりしていたよ。単なる駅への送迎のことなんだけどね。駅が、家から近くもないし、時間もかかるし、親も高齢だし、夜だし、待ってるのも待たせるのも嫌だから今後のことも考えて公共交通機関(バス)を使いたい、と手紙を書いたの。(いつも母は疲れた疲れたと言っているし、実際に高齢者なので)その間に休んでほしいとの願いからでもあった。(これもまた子の身勝手な願いなのだろう。)これはまた電話などをして話し合えばいいのだろうけど、本当にこちらの話をぜんぜん聞いてくれないので、電話をするのが苦痛で仕方がないのだ。ラインをしても開くのは3ヶ月に1回くらいだし、メールならその日のうちには見てくれることが多いけど、現代的な通信というものがまるで役に立たないのだ。電報にすれば良かったかなぁ。ほんと。疲れる。家で待ちたくない、外に出たい、自分で行動をコントロールしたい、せっかく来てくれたから、など色々理由はあると思う。愛情は感じるし、他のことと比べたらマシなのだけれど、自分の思い通りにしたい欲が溢れ出ていて、じゃあ他のことはどうしているのかと、とても心配になるよ。生活しにくいんじゃないかなぁ。(私は私で充分生活がしにくいよ。こんな些細なことで引っかかってしまうし。)

つまり私は車で迎えに来てほしくないのだ。


さて。
近況報告ありがとう。

10月で地元へ帰ってきて1年が経つよ。10月の終わりに引っ越しが完了した。当時は時が進むのが怖くて怖くて何もできなくて寝込んでたけど、今はちゃんと仕事をしていてそれなりにワシも生きてたんだなあ、と実感。よく頑張った〜って言っていいのかも。

昨日は、劇場版「きのう何食べた」をテレビでやっていて少し見たよ。なっちゃんと映画館に観に行ったなあとか、シロさんとゲンジのお互いのバックグラウンドや想いを想像すると泣けてきたよ。はじまりの曲の「帰り道」もすごく好きで、なんかいろいろ思い出しちゃった。から、はやく布団に入ったよ。起きたら大丈夫になってた。

タム日記#168

そっかー。もう1年経つんだね。
ひとつひとつやって少しずつ進んできた成果だよね。スゴい!よくやったんだなぁ、と思うよ。大変な波にのまれつつ、自分を客観的にも見ようとして進んできたんだろうなと、尊敬するよ。

実は地上波を見られなくて、見てないのだけど(ケチくさいんだけど、自分が加入している映像配信サービスに来ないか待ってるところなんだよねぇ。また映画化すると思う。)。思い出のある作品て、きゅんときちゃうね。私もシロさんとケンジの物語の続きを待ってた。ちびまる子ちゃんや、サザエさんみたいに年を取らないんじゃなくて、歳を重ね、月日が流れる。願わくば同性婚ができて子育ても検討して欲しい。日本よ、追いつけ!と思ってる。
 隠しきれないオープンな生活場面の多いケンジ。一方シロさんは仕事とプライベート、仲間との時間、ケンジとの時間をわけて生活したい。シロさんのご両親。。。そんなんじゃないよ、と思ったり言ったりするけど、やっぱりまだ一部には昔のシロさんの親みたいな考えの人がいて。。。


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その後。
帰りはバスに乗って帰った。とても混んでいて、まつりか!イベントか!と心の中で叫んでいたよ。イベントがあってたまたまそうなったのか、本数が時刻表通り少ないからいつも混んでるのかわかんないけど。。。多くの人が車なんだよ。(だからバスの中のことは聞いてもわかんない可能性が高い。)新幹線には、ぎりぎり間に合ってよかった。指定席だったので発車時刻も容易には変えられないのだった。計画書を何回も書いた甲斐があったよ\(^o^)/

さて。

『ランドセル何色だった?』

ってタムは聞かれたことある?私は実は聞かれた記憶がないよ。かわいそうに思って聞かないでくれたのか、平成の初期に小学生になった私の世代は基本2色しかなかったせいか。当たり前のように黒じゃなかった。絵の具セットはかろうじて青にしてもらえたけど、ランドセルの色のは選べなかった。たまーーーーーに水色のランドセルの女子が学年に1人くらいいたけど学校にフリフリのスカートを履いてくるようなハイカラな子だったように思う。
 今日は一部の親戚が小規模に集まったよ。未成年も同席したせいかランドセルの色の話や、子どもの話になっておしゃべりな私もそこは黙っていたよ。わざわざ私がいるところでその話をしなくてもいいじゃないかと思った。考えすぎか。私はへそが曲がっているし、傷は癒えていないのだ。今冷静に振り返ると親戚の人達がいる場で話すような話題がないのを自覚していなかった。反省。今度は用意しよう。(でもそんなのしたくない。めんどくさいし、つまんない。新鮮さに欠けるし、飽き飽きする。)
 
 私は人に褒められたとしても言葉を言葉通りにはとれない。裏の裏の裏?まで考えてしまう。実はからかわれている、思いっきりディスられてるんじゃないかって思う。みんなしたい話をすればいいだろうけどね。最低限、その場にいる人に対して配慮にかける話題は避けたいと自分は思うんだよね。ま、理解されてないしその努力もしてないから仕方ないね。そう考えると、活動家の人たちや様々な事情をオープンにして声を上げ続けている人たちに感謝したいと思う。言葉選びは気になってしまうことも多いけど、それは私の問題なのかもしれない。

鮮度が大事だからこの記事あげちゃう!

おやすみー!

ありがとー!









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