大喜利茶屋を2ヶ月やってみて

こんにちは。クロレラサイダーです。内容が大して無いのに無駄に長い記事を書きます。

たぶん8/20頃に大喜利茶屋を始めたので、大喜利茶屋を始めて2ヶ月ちょっと経過したことになります。シーズン6の途中から参加したことになりますね。ということで、ここらで始めてみた感想を書いてみたいと思います。

まず前段として、自分の身の上話を書きます。
以前の記事やXのプロフィール欄にも書いていますが、そもそも自分は2003〜2011年の時期にネット大喜利をやっています(後半はほとんど活動できていないので、実質2003〜2007年頃の4年間が精力的な活動期間かなと思います)。
その後は自分の身の回りが忙しくなりすぎたことでネット大喜利から離れ、気づけば十数年経過してしまったのですが、リアルの友人が大喜利茶屋をやっていたことを機に「もう一度大喜利に触れてみよう!」と自分も登録。シーズン6勢として、若者に混ざって投稿しています。ほぼリハビリです。

要するに僕は、歴としてはめちゃくちゃ古参なはずなのに休止期間が長すぎたため新人みたいな顔をしているおじさんです。特にシーズン6勢の皆様はこんな私と仲良くしてくれて本当に感謝です。


ちょっと話がずれますが、古くからネット大喜利に足を突っ込んでいた出戻り勢としては、当時から活躍していた方が今でも活躍しているのを見ると本当に嬉しくなります。
先日こっそり初めてボケルバを見学した時には、「生大喜利の文化がこんなに進んでいるのか!」と驚いたと同時に「虎猫さんが今でも活躍している! 凄い!」と興奮したりしました。虎猫さんとは18年前にネット大喜利上で直接対決したりしていましたので、18年越しに初めましてのご挨拶ができて本当に嬉しかったです(他にも、ノビッタさんや赤黄色さんなど、当時から知っている名前をネット上に発見し、嬉しい気持ちになっていたりします)。


さて茶屋の話に戻りますが、僕がネット大喜利をやっていた2000年代、大喜利に関して僕を悩ませたものがあります。

それは、いわゆる「先鋭化」です。

ネット大喜利はその性質上、どうしても「ベタ」や「安易な表現」「使い古された表現」が嫌われがちです。
もちろんそれは普通のお笑いでもそうだと思いますし、ネット大喜利全体のレベルの底上げにも寄与していることなので、それ自体は決して悪いことではないと思います。
ただ、ネット大喜利はいわゆる「一般の観客」がほぼ存在せず、また「現場の空気」が存在しない文字だけ勝負のため、ベタの回避だけに留まらず、もっと勢いよく玄人向けへと傾倒してしまいがちなのですね。

でも、普通の生活をしているとそれとは真逆なんですよね。結局リアルの生活上ではベタが一番ウケるし、小難しい笑いよりも単純で勢いがあるほうがウケます。なんだったらクソみたいなクソ下ネタが一番クソみたいにウケます(社会人生活が長くなると特にそう思いますね)。

そういったところのギャップに学生時代の僕は大いに悩みました。
そのうち、「こんなレベルの低い笑いで笑っている周りがおかしい。自分の笑いのほうが質が高い」みたいなキモ思想が頭をよぎるようになったので、その度に僕は自分の体に太い鞭を打ち、心の中のアングラを押さえつけていたのでした。
(そもそも自分はネット大喜利上で特別いい成績を残してる訳でもなかったので、本当にクソみたいな思い上がりです。うんち)


まあ、これはネット大喜利に限らずどの分野でも少なからずあることだと思います。今の僕は正直、「何がレベルの低いボケで何がレベルの高いボケであるのか」なんて1ミリもわからないし、十数年大喜利から遠ざかっていたため「何が使い古されていて何が新しいのか」なんて1マイクロもわかりません。
なので結局は「自分が面白いと思うものは面白い!」と開き直ることに帰結するのですが、それでもやっぱり、「レベルが高いと言われてるボケ」に対して「俗世間からの乖離」を感じたり、「先鋭化や内輪化に陥ってるのでは」とちょっとだけ感じてしまうことがあります。

でも大喜利茶屋は、個人的には本当にその塩梅がちょうど良いと感じています。

すごく先鋭化している訳でもなく、でも上位のボケはやっぱりわかりやすくちゃんと面白いものが多くて、でも世間に迎合しすぎている訳でもない。大喜利サイトってこの塩梅を維持するのが本当に難しいので、すごいサイトが出来たなあと単純に感心しています。
茶事のシステムもゲーム好きな自分に合っているし、毎日大喜利ができて毎日結果を見られることも嬉しい。このタイミングで大喜利茶屋に出会えて本当に良かったなと思っています。


この20年ほどの間に数多のサイトが先鋭化しすぎたり大衆向けになりすぎたことで廃れていったと思います。そしてそこにいた人達は個人サイトのcgiやボケ掲示板に流れて(帰って)いったりしたと思うのですが、管理人の環境の変化やモチベーションの低下などでサイトが停止したり、大喜利ユーザー自身も飽きていったりして、やはり多くのサイトが姿を消してしまったのでしょう。
なので、茶屋をやり始めようとした時は、ネット大喜利の世界が退廃的なものになっていたらどうしようという不安がありました。

でも現実はそんなことなく、世間のちょっとした大喜利ブームも相まって、とても楽しい空間が広がっていました。
ネット大喜利という場所を存続させてくださった皆様、再び創り上げてくださった皆様には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

そして大喜利茶屋は学生の皆様も多く、X上での「テストがー」「文化祭がー」などという呟きを見ると自分の学生時代を思い出して懐かしくなり、それもまた嬉しいです。僕も当時ネット大喜利にハマりすぎたせいで成績をガクッと落としたのですが、なんとか大喜利をしながらもちゃんと大学に受かりました。そんな自分と重ね合わせながら、今の学生の皆様を応援しております。

最後に、冒頭にも話しましたが、紆余曲折ありながらも大喜利の文化がちゃんと今まで継続されていたことで、僕は虎猫さんなど懐かしい方々と再会することができましたし、大喜利で培った縁を実感することができました。
やっぱり同じ趣味を持つ方々といつまでもお話しできることは非常に嬉しいことだと思うので、この先もこの文化や環境が続いていってくれたらなと、おじさんは思います。学生の皆さんも、せっかくなので大喜利で得た縁を是非大切にしてくださいね。

僕もせっかく大喜利茶屋という良い習慣に出会えたので、この先も引き続き大喜利を楽しんでいけたらと思っています。今後ともよろしくお願いします。

追伸:大喜利茶屋、ネット大喜利のことを中心に書きましたが、併せて、ボケルバのような生大喜利の文化を進めてくださった皆様にも本当に感謝しています(18年前は生大喜利なんて本当に小さな個人のオフ会でカラオケボックスの一室にてやるくらいしかなかったので……)。楽しい時代になって、嬉しい!

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