民主主義に疲れた

 アメリカ大統領選が行われている今、つい5日前の大阪市廃止特別区設置住民投票の否決も経て、私は民主主義に疲れた気持ちでいっぱいになっている。

 2000年代に入り大阪市の職員の不正問題がたびたびメディアで報道されるようになった。そして、2005年に

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 吉富有治さんのこちらの本は各方面にショックを与えた。公務員のあきれた勤務実態を暴く本だった。また、このころ小泉改革に影響を受けて、与党も野党も新自由主義的な小さな政府を競争していた。公務員の怠惰な勤務実態は格好の的だったのだろう。

 しかし、その後の關市長、平松市長時代で改革は進んだ。公務員は決して怠惰ではなくなっていったのだ。

 大阪市民の悪いところはそこで検証をしなかったことだろう。メディアも糾弾したら糾弾しっぱなし。改革がすっかりと終わったところへ何故か大阪維新の会、橋下徹氏が出てきて改革を進めると叫んだ。

 大阪市民は大喜びで改革を進めてくれと維新を歓迎した。しかし、橋下氏が実際に役所に入ってみてイメージと違う怠惰とは程遠い実態を見てどう思ったことだろう。華々しい結果を見せられず、飛びついたのが『都構想』という大阪市の権限を失くして府に中央集権化する究極の小さな政府(行政】化だったのではないだろうか?

 話を戻そう。都構想の是非ではない。私は民主主義疲れを起こしている。大阪市民を巻き込んで100億の予算を使って5年に渡って2回否決した都構想の是非を問うているのではない。

 糾弾して検証しなかった市民、検証しなかったがゆえに新自由原理主義の維新を迎え入れてしまった大阪市民も無謬ではないということだ。

 物議を醸しそうだが思い切って言おう。私は3年前の旧立憲民主党の結党以来、立憲民主党の応援をしている。立憲パートナーズにも登録し、党員登録もしている。数々の勝手連や企画を立ち上げてパートナーズ活動を立ち上げてきたが…

私は立憲民主党の支持者が嫌いだ。

 いや嫌いになったという方が正しいのだろうか?もちろん、全員がというわけでもないが、だがやはり塊になると嫌いな側面が大きく出るような気がしている。

 立憲民主党の理念や政策は好きだ。そして、その理念を実現するために集まった議員党員の多くの人たちは好きである(嫌いな人も居る)。

 何が嫌いなのかと言えば自分で動かず拳を振り上げて他人に何かさせようとし、何かあれば瞬間湯沸かし器のように沸き立って検証もせずに人を責め、間違っても謝らずに「誤解させた方が悪い」とまで開き直るところ。もっとひどければ自分が正しいとデマすら流して徒党を組んで誹謗中傷までする。自分達は虐げられていて何をしても仕方ないのだと…いや、それでも何かされたらやっぱり嫌ですよ。私、人間なんで。

 そんな人ばかりではない。私にも悪いところはあるんだろうし、皆仲良くするために怒っちゃダメ…と、言ってくる人。それが最低に一番嫌い。お前はいじめの被害者と加害者を自分の利害のために握手させようとするデモシカ教師かよ。でも、悲しいかな、支持率低い政党だから良くいるんだよ、このタイプ。多分、これ書いた後も「私は違う」だの「党のために」とか言ってくるはず。予め言っとこう。大っ嫌いだから。

 3年間パートナーズ活動をやってみて、同じことが繰り返された時、もう立憲民主党の応援なんて辞めてしまえと思った。いや、普通、嫌いになるよなと思うんだよね。つか、嫌いになりたい。でも、自分でも今も本当に嫌だと思うのは今でも新立憲民主党の綱領が本当に好きだし、好きな議員が多いんだよね…。

 まぁ、直前に「もう嫌だ」と思うことがあって、そんなこんなで大阪市廃止特別区設置住民投票で立憲民主党の大阪府連に行かなかった。ただ、それが私にもう一度民主主義を考えさせるきっかけにはなった。

 今回、立憲の支持者ではない人と多く都構想の話をした。経営している会社の社員が大阪市廃止に反対していて家族、親戚、友達と色々ずっと話をしていて、何とか反対票を増やしたいと頑張っていたんだよね。それで、私も話をしてほしいと呼ばれたこともあったんだ。

 話をしたというか、人の話を聞いた。維新の支持をしているという人からも話を聞いた。落ち着いて話を聞いて、そして、落ち着いて話を聞いて、大阪を良くしていきたいという気持ちは皆一緒だということも理解した。その上で問題を整理して、今、いったん立ち止まって皆で建設的に話をしたいという話をした。

 わーわーと責め立てられて考えを変えさせられるのかと思ったが、話が分かるし、あなたも大阪が好きで本気で大阪を良くしたいのだと理解したとも言ってもらえた。

 枝野代表が良く言っている。

「人は間違う生き物なんです」

 もちろん、私が正しいとは言わない。私にも間違っているところも嫌なところも多いだろう。でも、私は私を嫌だと思う人のために存在していないし、私も嫌だと思う人と付き合いたくない。民主主義って互いに話し合える人の間に存在しているんじゃないのかなと思った。例え違う考えに立脚している人との間であっても。

 もちろん立憲支持者だから、女性だから、そんな理由で叩くために叩きに来ている人と話すことはムリだと思う。同じように自分と違う考え方だから攻撃する人とはたとえ同じ政党支持者とでも民主主義的な話はできない。私にはそんな人とまで対話する力量はないよ。私は党の役員でも議員でもない。そこまで責任を負う必要はない。私は私という個人を普通に大事にしてくれる人と付き合えばいいんだよね。

 互いに間違うこともある。でも、自分も間違うこともあることを前提に於いて互いに話し合える人と話せばいいと思うの。それは同じ政党支持者のひとでなくてもいいのかもしれないなと最近は思いつつある。

 叫びたい人、攻めたい人、私はもうお付き合いしたくない。ただ、それだけだな。


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