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凄いねと言われることへの違和感

人から「凄いね」と、言われることがたまにあって、そのときに感じる違和感について考えてみたくなったので、つらつらと。

自分自身はまったく凄いなど思っていなくて、むしろ全然まだまだ精進しなければいけないと思っていることに関してこそ、そう言われる。

人から言われるこの「凄い」になぜかいつも違和感というか、拒否感のようなものを持ってしまう。

全然凄くないんだけどな、と思う。
そんなにあなたと違う世界の人間なのかしら私は、とも思う。

褒め言葉として屈託なく受け取ればいいものの、いつもどこかひねくれている自分は一瞬躊躇ってしまう。

謙遜とか謙虚とか、そういうのとも違う。

そもそも「凄い」とは。

物事の程度が並でない。
形容できないくらい素晴らしいさま。
感嘆に値するほど素晴らしいさま。

らしい。
今はこういう意味で言われることがほとんどかなと。

でも原義は、

身震いするほどおそろしい。
心に強い衝撃を受けてぞっと身に染みるさま。
すさまじい。

だそうだ。

おそろしさ、もしくは想像を絶することを目の当たりにしてしまった衝撃感、みたいなのが元々持っている意味らしい。

あなたと私では住む世界が違うのねと言われているようで、その言葉で壁を造られたようで、寂しいのかもしれない。

遥か彼方にその凄い人を置いて崇めてしまう感が嫌なのかもしれない。

同じ人間、同じ人種、同じ言語を使っているのに、何か別の生き物を見るような目で見られると困惑する。

ちなみに、同じ漢字でも「凄く〇〇だね」というのは、強調の意味として使われる副詞だから違和感は感じない。

「い」か「く」かで、こんなにも違う。

自分でも細かいなぁとは思う。

自分自身は意図的に使うこともある。

それこそ一線引きたいときとかに。

または、この人のレベルには到底辿り着けないなと尊敬を込めて降伏するときとかに。

無意識に使ってしまっているときもあったかもしれない。

「凄い」と言われたとき、良いように捉えれば、本当にただただ素晴らしいという意味で言ってくれているだろうから素直に喜んでおけばいいのだと思う。

何かこう、成長を止めてしまう呪文みたいな感じで拒否感があるのかもしれない。

言った方も、言われた方も。

言った方は、この人には到底及ばないなと、一種の諦めを含んでいるかもしれない。
もう降参です、と。

言われた方は、これで凄いと言われるならこの程度でいいかと、自分の立っているところが最上であるかのように錯覚させられてしまうかもしれない。

「凄いね」って便利な言葉だ。

でもできれば、「凄く」どうだったのかを知りたかったりする。

凄く感動した、のか。
凄くかっこよかった、のか。
凄いと言っておけばいいだろう、なのか。
言葉では形容し難いから凄いとしか言えない、のか。

その人がどう感じたのかが、「凄いね」だけでは具体的に伝わってこないからモヤモヤするのかもしれない。

長くなったけど、

・住む世界が違うと言われたようで寂しい。
・成長を止める呪文みたいで嫌。
・具体的にどう感じたのか伝わってこなくてモヤモヤ。

という自分の中での結論。

でも今後「凄いね」と言ってもらったときは、なるべく素直に喜ぶようにしたいと思う。

言葉は大切に選んで使いたいなと、改めて思うのでした。

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