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風景という息継ぎ

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風景写真と短いエッセイ。毎月末に更新。日々の息抜きにどうぞ。
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#FUJIFILM

【写真】梅雨とも夏ともつかぬ曖昧な季節の真ん中で

暁天の青は雨粒に溶け、その雨を浴びた紫陽花が青色に染まる。晩天の紫を食べて咲いたラベンダーが、湿り気を含んだ風に香りを乗せる。 六月。夏の足音は忍ぶこともなく、雨の季節を押しのけながらこちらへやってくる。雨の妖精は強引な夏を横目にため息をつきつつ、緑や花々と静かに語らっている。 満開の紫陽花がならぶ道路脇を通り過ぎると、にぎやかな鳥の声が耳に入ってきた。見上げれば、数羽の小さなツバメたちが飛びまわっている。同じ場所を何度も何度も、円を描くように。巣立ちを迎えようとする前の

【写真】私たちは世界を解釈しつづける

この世界に生きているのに、今ここにいない。 そんな感覚の中で眠りを繰り返す。 ここ一か月、ずっとうっすら調子が悪い日々を過ごしていた。 休日もろくに起き上がれず、近所のコンビニにすら足が向かず。数日間引きこもっては働きに行く。身体の中にある、季節の変化を敏感に感じ取っていたプログラムがうまく動いてくれなかった。ここ最近の花々の移ろいも、新緑の深まりも、記憶の中に残されていない。 世界そのものと、私たちの目に映る世界は完全なるイコールではない。 脳が視覚から得た情報を扱

この命は神も意図しない挙動をしている

通りすがりの死神が足を止め、満開の桜に見入っていた。おもむろにスマホを取り出し、静かに写真を撮る。満足げな表情を浮かべた死神は、再び歩き出した。遠ざかっていく背中に花びらが舞い散る。大層な儀式も明確な終了宣言もなく、こうして春は終わる。 案外あっけないものだ。 たぶん、自分の命の終わりもそんなものだろう。 民家の庭に生を受けた柑橘の木から大きな実がひとつ落ちて、アスファルトの上で割れていた。ゆずだろうか。 そのすぐそばで、まだ新しくどこかこなれないスーツを着た死神が悲