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私がモノやお金、時間を大切にする理由

私の夢は、この世界が、生きているいのちを殺して食べなくても生きていける世界になること…

私の夢は、叶うことはないだろう。人間がそんな生物になるとは思えない。地球上の生態系がそんな変わるとも思えない。
人間が滅んでも、地球が滅んでも、私の夢が叶う時は来ないだろう。

食べ物が全て人工物になればいいとか、そういうことでは全くない。

私の子どもが、食べ物がみんなにこにこ笑っている絵を描いたことがあった。
オレンジジュースも、ホットケーキも、オムライスも、みんなにこにこ笑った顔がついていて、それを食べる子ども自身もにこにこ笑っている可愛い絵。

私は、それを見て、とても辛くなった。
この子は、まだ食べ物がもともと生きているものを殺したものだということを知らない。
知ったらどんなに子どもがショックを受けるかを思うと、それを教えるのが辛くてたまらなかった。私自身も、子どもの頃、初めて知ったときのことを覚えている。その時から、食卓の肉や魚を見るとひどく怖くて嫌な気持ちになって、「可哀想だから食べたくない」と言うと、親にすごく怒られた。

いろいろなものを諦めて感じないようにしなければ生きて行けないと思い始めたのは、それが最初だったか…

でも、子どもの絵を見て、私は思い直した。
この子は間違っていない、私も間違っていない。

いのちはきっと、どこかで進化を間違えたんだ。

もし、こうして生きているものを殺し喰ってはどんどん生物が進化していくことが正しいなら、それを辛いことだとは感じないはずだ。

何かが値上がりしたら、他も便乗して値上がりするものが出て、我も我もと市場全体に値上がりが続出連鎖するように、何か、一番最初に他の生物に噛み付いたのは、とてもとても困って、やむにやまれずそういう行動に出てしまったのかもしれない。それに対する反撃の連鎖や、食わなくてもいいやつまでが、自己生産よりそうやって周囲を侵略が手っ取り早いと、我も我もと他を食い合って自己を肥やすようになり、最早そうしなければ生きられない「常識」世界になってしまった…

それは変な想像かもしれないけど、いのちはみんな、死ぬのを恐れ、死ぬのが苦しく、必死で生きる存在にできているのに、それを無理矢理殺し、犠牲にして食べることで他が生きるなんて、どう考えてもおかしい。だって、その姿を嫌だ、辛いと思うもの。

神の恵みだの、いのちをもらいあっているだの、それで均衡が保たれているとか、私はそんな言葉に納得したことがない。人間に都合良くねじ曲げた綺麗事にしか聞こえない

「新鮮!大漁!」と、水揚げされてピチピチ跳ねる魚の映像を見て、近所のたんぼで小さな魚をつかまえたことで、あれが呼吸を奪われてどんなに恐ろしい思いで苦しんでいる状態の魚かがわかるようになった子どもが、その後、暴れ生きたまま刺され、切られ、焼かれ、見慣れた姿になるのかを知って、声も出さずに真っ赤になって泣きはらしている姿を見て、私も泣きながら子どもを抱きしめて、確信した。

さらに、子どもは私の知らなかったことを教えてくれた。
「だんごむしは、死んだものしか食べないんだよ。他のものを殺したりなんかしなくても生きていけるんだよ」

そっか…やっぱり、いのちはどこかで間違ったんだな。

だんご虫は、鳥とか、他の生き物に食われることは多いだろうに、自分は枯れ葉とか、屍骸などを食べることで、環境にとって掃除にまでなっているのか。本当にすごいと思った。

私は、人間も死んだ物を食べるべきだとか、そんなことは思わないし、人間の体は腐敗物は有毒で、海鮮やステーキなどを美味しいと思うようにできている。
でも、罪悪感を感じるのは、人間だけができること。

人間が目指すべき進化は、この道なんじゃないか。

私にできることは、食べ物が、殺されたいのちでできていることを知った時の、幼い頃の私のショック、私の子どもがそれを知った時の涙、それを大事にして、そして、どんなものを美味しいと感じるかという自分のいのち、人間の構造も大事にして、せめて美味しく大切に食べること。

食べるということを杜撰にしないで、よく味わう意識、美味しく料理すること、食材を無駄にしないように買う、管理する日々をおくること。

食べ物、お金、持ち物、時間を大切にすることは、生きているものを殺して食べなくてもいい世界になって欲しいという、叶いようのない私の抽象な夢を芯にした、具体にあたる。

こうした、いのちに繋がるものを些細でも一つ一つ大事に愛する日々は、幸せだから。

夢が叶うことはなくても、私はそのようにして生きていきたいと思っている。

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