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「積極的反出生主義」の不在

 ご存知の通り、反出生主義とは子供をつくることをよしとしない思想である。その理由は、苦痛の伴う人生を本人の同意なく強制することへの問題視であったり、あるいはこれ以上人類が増えることによる環境破壊への懸念であったりする。インターネットではそれなりに知られた思想であり、ググると詳しい説明はすぐ見つかるだろう。

 反出生主義としばしば混同されるのがチャイルドフリーである。しかしチャイルドフリーと反出生主義が根本から異なるのは、前者が子供をもたないことによって自身のQOLを上げようとする思想なのに対して、後者はまだ生まれていない子供一般の平穏を守ろうとするものという点である。反出生主義の対象には、それを支持する人の子供だけでなく、他の人々がこれから産もうとする子供も含まれる。そのためチャイルドフリーの場合は他人の生殖には不干渉だが、反出生主義は他人の生殖に干渉することになる。

 しかし現代社会において、反出生主義者が積極的に他人の生殖を阻止しようとする光景は見たことがない。書籍やデモのような平和的なものであれ、あるいは肉屋を襲う過激派ヴィーガンのような行為であれ、何かそういった「積極的反出生主義ムーブメント」が起こっているという話は聞いたことがないのである(ベネターによる反出生主義の著作は和訳も出てはいるが…)。冒頭のリンクのツイートで指摘されていて、私も確かにそうだなと思ったので、今回の記事では、その理由として今考えつくものを幾つか挙げてみたい。

1.「消極的反出生主義」なのか?

「積極的反出生主義」の活動がないということは、今反出生主義に賛同している多くの人は「消極的反出生主義者」、すなわち自らは思想的な理由で子供をもたないが、他人の生殖には干渉しない立場ということになる。しかし、先ほど述べたように、反出生主義という思想は全てのまだ生まれていない子供をその対象とする以上、その思想を支持することは必然的に他人の生殖への干渉に至る。そのため、そもそも「消極的反出生主義」というワード自体が矛盾を孕んだ、実態としてはチャイルドフリーと変わらないものとなる。

 これには少なくとも日本における反出生主義における受容のされ方と関係があると思われる。昨年に出た「現代思想」の11月号・反出生主義特集でも言及されていたことだが、反出生主義は哲学的な思想のひとつ、論理パズルのようなものとして知られる一方で、実存の問題、「生まれたくなかった」などの厭世的な価値観の人々の「需要」を満たすものとしての面ももつのではないかと思われる。

 前者の場合、反出生主義はその論理、直感的には受け入れがたいが否定するのも難しいという複雑さに挑むという形のため、反出生主義こそが布教すべき真理とはならない。後者の場合、人生の上手くいかなさに苦しむ人たちにとって反出生主義は「そもそも生まれたのがよくなかったのだ」というある種の自己肯定感を与えてくれる思想でもある。なぜなら人生における他の経験は自分の行動や判断で左右された面が否定できないが、出生という出来事は完全に自分の関係ないところで発生したイベントだからである。

 後者の場合は、反出生主義への支持の中に幾分反出生主義への「帰依」のようなものがあるのではないかとも思う。そのような人の中には、反出生主義によって自分が救われたことが重要であり、反出生主義の普及にはそこまで関心がないという人もいるかもしれない。

2. 何ができるのか?

 とはいえ、出生主義支持者の多くは、自分の子供だけでなく全ての子供の出生を回避したいと思っていることであろう。ではそのために彼らに何ができるだろうか。

 もっとも直接的な方法としてまず考えつくのは、これから子供をつくろうとしているカップルを思いとどまらせるというものである。しかしこれは非常に難しい。まず、「今夜子づくりします!」というカップルはそうそういない。「そろそろ子供ほしい」もわざわざ公言はしないであろう。妊娠が知られるのはその発端から数か月後であり、反出生主義者にとってはもう手遅れである。

 それなら日ごろから周囲の人に反出生主義を広めればいいじゃないかと思うかもしれないが、こちらも難しいのではないか。あなたが友人知人から「子供をもつのは実はいけないことじゃないかと思うんだ」などと言われるところを想像してほしい。もちろんそういうことを話せる関係もあるとは思うが、何言ってんだこいつ?という反応も想像に難くないだろう。大半の人は子供を産むのは普通のこと、むしろ素晴らしいことだと思っており、怪しいカルト宗教の勧誘にすら思われるかもしれない。それに相手が既に親であった場合、反出生主義はその人たちの「功績」を否定するものであるため、厳しい反応が予想される。

 それに反出生主義者はそういう「布教」活動自体苦手な人が多いのではないかとも推測される。まず、反出生主義者は「押し付け」が嫌いである。人生を押し付けられたことに反感を抱いている場合が多い。そのため反出生主義がいくら正しかろうと、その考えを人に強制することに抵抗を覚えてしまうのではないか。また、反出生主義者の少なくない数が生きづらい、今の社会に適応しにくいという感覚があると思われるが、コミュニケーション能力の問題は一般に生きづらさの原因になりやすい。人と話すこと、上手く自分の考えを主張すること、厳しい反応への対応などに難があれば、反出生主義のような一般的でない、受け入れにくい話をするハードルは上がるだろう。

 もう少し活動の範囲を広げて、社会に働きかけることで反出生主義の実現を目指そうとする場合を考えてみよう。冒頭のツイートでは「女子教育の推進」が挙げられていた。確かに女子教育が人口増加を緩やかにするだろうという推測がある。

 そもそも少子高齢化の懸念の只中で少子化を推進しようというのは周囲から見れば正気の沙汰ではない。今生きている、既に生まれた人にとって反出生主義のメリットというのはないに等しいわけで、それよりも少子化で今後の生活が不安定になることのほうが深刻な問題だろう。

そういうわけで、反出生主義への理解が少ない中でもその実現に近づこうとするならば、一般の人も賛成するようなことを主張するほうが現実的である。先ほどの女子教育の推進というのはいい例であろう。男女平等は多くの人が認める「正しいこと」である。リプロダクティブライツの尊重も同様である。これらは女性の婚期を遅らせたり、あるいは仕事に人生の重心を置かせたりすることで、少子化を促進するだろう。

 子供を大切にするというのも多くの人に異論はないだろう。実際は、子供にかかるコストが少ない(=子供をそこまで大切にしない)国・時代のほうが子供の数は多いため、世代としての力は強くなる。子供ひとりにかける様々なコストの基準が上がるほど、子供の数は減るであろう。しかしこれらは既に世の中の潮流になっていることである。児童虐待などがあればどうして防げなかったのかと世論は怒るし、女性の権利はフェミニズムが推進している。反出生主義者が仮にその中にいても、目立たないだろう(そういえば反出生フェミvs子持ちフェミなるワードを観測した記憶があるが、そういう対立もあるのだろうか)。

3. 彼らにできるのか?

 もっと話が大きくなると、いずれは反出生主義者が政党をつくり、トップダウンで反出生主義の実現を目指そうということになるかもしれない。しかし、できるだろうか?

 というのは、反出生主義の支持者の多くが生きづらさを抱える、あんまり人生うまくいってないとするならば、そういう組織的な活動を、国政レベルよりもっと小さいスケールでも、うまくやれるのかという疑念があるからである。

 私は反出生主義者と直接会ったことはないのであまり決めつけるのもよくないとは思うのだが、「有能」なら反出生主義にたどり着く道は狭まるような気がする。反出生主義は生まれたくなかったという嘆きではないし、人生が楽しいことと反出生主義は両立するのだが、反出生主義を支持するのは生物としては不自然なことであり、何らかの社会との不適合が反出生主義に至るきっかけとなることが多いのではないか。

 先ほど、反出生主義者には反出生主義の「布教」をあまり得意としない人も多いのではと書いたが、それをもっと発展させると「反出生主義者は反出生主義を実現できるのか?」という問題になってくる。反出生主義を主張する政治家や有名人を見たことがあるだろうか?反出生主義の論理がいくら正しかろうと、それだけでその思想が世の中のスタンダードになったり、政治的な目標になったりするわけではない。そういうところまで含めた資質というのが、生きづらさを抱える人も多い反出生主義支持者の中にどれだけあるのか、疑問に思うところもある。

 もっともこの「反出生主義を実現できるほど優秀な人は反出生主義者にならない」ジレンマだが、私の個人的な思い込みの可能性も高い。我こそは反出生主義を実現できるぞという方、ぜひとも名乗りを上げていただきたく思う。そのときはごめんなさいします。

 まあ、もし反出生主義が大衆の支持を広く得るような社会になれば、その中から有望な反出生主義者が政治家になったりもするだろうが、反出生主義が世間一般の支持を得るような社会になってほしくないという思いもある。

4. 今やる意味はあるのか?

 もう日本が少子化傾向に入ってから長いが、近年はその流れがより加速しているようである。去年の出生数は初めて90万人を割って86万4千人だったが、今年の上半期の速報値では去年の同時期と比較しても9000人近く減少しており、去年の記録を早くも更新する可能性が出てきている。反出生主義が隆盛を見せている、わけではない。合計特殊出生率がそこまで減少していないところを見ると、親になる世代の人口自体が減少しているのが原因だろう。

 そこにこのコロナ禍である。今年の下半期に生まれる赤ちゃんはコロナ拡大初期までに生を受けた子供たちなので、直接の影響というのはそこまでないだろうが、注目は来年以降であろう。この世相では反出生主義など関係なく子供をつくるのを躊躇う人も多いだろうし、雇用・事業の不安定化や求人難などは今後何年も少子化の原因になるだろう。

 …反出生主義者の出る幕あります?

 現状、「積極的反出生主義ムーブメント」などと全く関係なく子供が減っているのである。これがもし、特に考えもせずに子供をぽんぽん産む人が多いような状況であれば話は別だが、賢い現代人は子供にできることを考えて、計画的に子供をつくるようになっているし、つくらないという選択も珍しいものではない。もちろん子供自体は生まれているので反出生主義がその「活躍の場」を失っているわけではないのだが、反出生主義にとっては歓迎しつつもいまいち盛り上がりに欠ける展開かもしれない。

 この状況で反出生主義が広まるとすれば、様々な事情で子供をもてなかった人たちのための「正しさ」としての可能性もあるだろう。少子高齢化がいよいよ進めば、子供をもたなかった/もてなかった人たちは批判にさらされるだろうが、その時彼らの盾として反出生主義の需要が生まれるかもしれない。


 幾つか挙げてみたが、まだ仮説の域を出ないことにはご留意願いたい。ただ、どうやったら反出生主義を実現できるのかという議論はそんなに盛り上がっていないようだし、反出生主義に積極性が足りないというのは事実であろうと思う。

 ちなみに、現在「積極的反出生主義」に最も近いと思われるのが「自主的な人類絶滅運動(VHEMT)」である。これは1991年にアメリカで始まった運動で、人類が徐々に絶滅することで地球環境をこれ以上破壊しないようにしようというものである(英語版のWikipediaに今年の記事へのリンクがあるので、まだ活動しているようである)。反出生主義というとベネターの唱えるような、倫理的観点からのものが(日本では)一般的なので、若干人類の絶滅を目指す理由は異なるが。またWikipediaによるとイギリスには反出生主義を公約に掲げた政党ANP(The Anti Natalist Party)があるらしいが、実態は不明である。

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