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どっちも

 この話です、もうこれだけでもお終いでいいくらいの話です。

 女はつらいよ、いや男もつらいよというのはTwitterの華(?)であり、日々議論というかボールの投げ合いが行われているようである。わざわざ具体的な話をするまでもないだろう。個人的には別にそれらを否定するつもりはないし、それぞれ大変なのだなあと思っている。

 残念なことに、それらの問題は、自分には生物的/社会的な均衡の結果としてそうなっていることであり、根本的な解決は難しいように思える。それに、仮により大変などちらか一方を優遇しましょうとなったところで、優遇されたほうはこれで「平等」になったと思うだろうが、他方は「こっちが一層辛くなったじゃないか」と不公平感を募らすだろう。そもそも男女ともに人生イージーモードの人からハードモードの人までいるので、互いのイージーなほうの集団を見れば、あっちに比べてこっちはこんなに大変と言えてしまうのである。全人類がVRに移住するなどして性別が関係なくなれば問題は解消されるだろうが(しかしそれで全員が幸福になるわけではない)。

 そこで冒頭の話であるが、もう「人間はつらいよ」ということでいいのではないか?もちろん我々は現に何らかの性別(「性別がない」場合もあるだろうが)で生きているわけで、自分の属する性質の問題を解消しようとするのは自然なことではある。しかし、その解消が難しいだろうというのも想像がつく。多分、自分でその状況に適応したほうが早い。その場合は、性差は温存されるけども。

 仮にどちらかの性別が他方より大変だとしたら、生殖というのはほぼ1/2の確率で子供に大変な人生を歩ませることになる。それを防ぎたくてもどちらかの性別だけを発生させるというのは不可能なので、体内である程度育ってから選別するか、そもそも受精させないかという話になる。仮に選抜が一般化した場合、性別比の偏りが発生し人口の維持は難しくなるだろう。

 そしてどっちもつらいとするならば、子供にそのつらさを回避させるためには、そもそも子供をつくらないという選択が最も確実かつ簡単である。あとは、人類の存続とまだ生まれていない人間の福祉、どちらを選ぶかという話になるだろうか。

 もちろん人間の苦難というのは性別由来のものだけではない。人間は受精以前には個体として存在しないという前提に立てば、個人の苦痛を回避するには生まれなければ十分である。どちらかの性別が、お互いつらいよねでは済まされないくらいの特有の困難を抱えてしまうとお考えの方、生殖ガチャで子供の人生を1/2の確率に賭けるようなことはしてほしくないなあと思う。

 冒頭に貼ったツイート、珍しく2桁のRTといいねをいただいた。同じようなことを考えている人もそれなりにいるのかなと思った。

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