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知性の谷と反出生主義…?

 こういうツイート(正確にはこの後も続きがあるのでスレッド)を見かけたのでご紹介。反出生主義により中途半端な知性の淘汰が引き起こされるという話である。

 時々反出生主義に対してなされる反論に「子供を産まないことではなく、子供が生まれてきてもよいような環境を作るほうがよい」というものがある。反出生主義が人類の絶滅それ自体を目的とするものではないのならば、確かに生まれてきた子供が何の問題もなく幸福な人生を送れるような世界を作ることにより、反出生主義を不要なものとすることができる。

 これに対し反出生主義は、現在に至る歴史を見れば、そもそも十分に安全で快適な環境を子供に用意することなど不可能であろうし、たとえそれが将来実現可能だとしても、今の世代でそれができない以上、改善の道のりに次世代を巻き込むべきではないと主張するだろう。人類史上様々な問題が解決されていることは事実だが、同時に新しい問題が発生していることもまた事実である。新型感染症に翻弄される現代を見れば、一目瞭然である。

 これはマクロの話だが、現状子供をもつもたないは個人の選択である。そのため冒頭に引用したツイートのような仮説が出てくる。すなわち、子供が生まれることで晒される様々なリスクを認識できない人間は、反出生主義に至ることなく子供をつくる。一方で「本当に賢い」人間は世界のリスクを回避する方法がわかっているので、反出生主義を乗り越えて子供をつくる。しかしこの世界の問題は認識できるが、それらに対処する方法がわからない、すなわち「中途半端に賢い」人間は、子供にできる最善のことが「産まない」ことになってしまうので、結果的に反出生主義者になってしまう、というのである。

 すると、反出生主義者が「世界を改善すればよい」という発想を否定するのは、マクロの話の前に、まず自分の個人的な問題も満足に解決できないからではないか、という話にもなってくる。自分の生活に不満があるが、それを改善する方法がわからない、あるいはわかっても実践できないため、問題に対処する手段は「問題を発生させない」、現実的には「問題を抱える主体を発生させない」ということになる。

 反出生主義者をディスっているようになってしまったが、むしろ人間の大半は自分の抱える問題を解決できないのではないだろうか。それならば反出生主義者は「わきまえている」と言える。子供をつくらなければ子供の幸せな人生の可能性は絶たれるが、一方で子供は何の問題も抱えることはない。生まれる前の子供が幸せになりたがっているわけではないため、最良かはともかく、生まれるかもしれない子供にとっては安全で賢明な選択であろう。

 一方で引用元が言う「本当に賢い」人間はどれだけいるのだろうか。それほど「本当に賢い」人間がいれば、世の中もう少し良くなっているのではないかと思う。リスクを重視すれば、子供がある程度の問題を乗り越えられるように育てられる自信があるとしても、子供を生まれさせないほうが安全であろう。どれだけ楽観的か、子供に継承させられるものに自信があるか次第という気がする。

 冒頭のツイートのような現象が本当に起こるのかどうかは正直わからないが、面白い話だとは思った。ツイ主は自由意志で子供を産む限り、子供をつくるのはバカと天才に限られるので、人類はそれら2つに分化していくという話をしている。

 そうすると「反出生主義者予備軍」と言える、「中途半端に賢い人たち」はかなりのボリュームで存在するのではないか。ただ実際、反出生主義者はごく一部に限られているので、件の話のようなことは起こらないんじゃないかと思う。「賢い」の基準をどこに引くかだろうが、今子供をつくっている人たちの大半はこの話で言うところの「中途半端に賢い」人々ではなかろうか。

 ここまで割と他人事のように話してきたが、おそらくは筆者も「中途半端に賢い」人に入ると思われる。社会の前に自分の問題も満足に解決できないし、子供に苦労させない保証もできない。子供にできる最善のことは「産まない」ことであろうと思っている。

 Twitterで見る限り、同じように思って子供をもたない選択をする反出生主義者も多いのではないかという気もする。中には今の社会でも上手くやっている人もいるだろうが。それでも「子供をつくらない」というのは中途半端なりの賢さなのではないかと思う。

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