見出し画像

頑張ることと不確実性

 上のふたつのツイート、なるほどなあと思ったので引用させていただいた。

 確かに「頑張る」ことには「不確実性に耐える」という面がありそうだ。スポーツにしろ勉強にせよ、何らかのスキル習得や目標達成には、多少なりとゴールまでのルートが見えているにせよ、それが達成できるかは不確実である。

 その不確実性に耐えることができないと「頑張る」ことができなくなるというのも想像に難くない。それでこの不確実性耐久力、余裕がないときにも低下するのではないかなと思った。

 時間的、経済的、心理的余裕がないと、今あるリソースで確実に成果を得ようという傾向が強まる気がする。もっともこれは自分の経験上の話なのだが。

 就職して可処分時間が激減したあたりから、自由時間に努力というものをほとんどしなくなってしまった。労働を我慢させられた分の「負債」を帳消しにするために自由時間には確実に楽しいこと、快適なことしかしなくなったように思う。何かを頑張ってすぐに成果が出なかった場合、その分の貴重な余暇が無駄になったように感じてしまう。明日があるさとはならない、明日は労働である。

 もっとも自分の労働時間など、フルタイムとはいえ他の人から比べればまだ少ないほうだろう。今年は特にそうであった。あとはどこまで労働を負担に感じているかである。私は労働に弱い。

 頑張ることをしないと自由時間にやることは基本的に「暇つぶし」になる。暇つぶしというのは労働をやっていくのに必要ではあるが、それのために労働をやるものでもないように思う。今の仕事を続けたいともあまり思っていないが、転職したところで今よりいい仕事先が見つかるとも思えない(特に昨今の経済情勢では)。これも不確実性である。転職活動を頑張るのも大変である。

 そもそも生活をやめれば仕事をする必要もないのだが、生活をやめるのもそれはそれで不確実だろう。結局全ては不確実である(?…謎の終わり方になってしまった)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?