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その② 私が思う差別が生まれる背景『世界で一番幸せな男 101歳、アウシュビッツ生存者が語る美しい人生の見つけ方』を読んで

エディが悲惨な状況の中でも、人間としての尊厳を失わず、友情を生きる糧として生きられた理由の一つは、やはりそれまでに肌で感じてきた愛情だと思う。

エディはユダヤ人であることが理由で学校を退学になり、名前を変え、見知らぬ街で孤児として寄宿舎に入って勉強したそうだ。たったひとりで、13歳から18歳まで家族と離れ、ユダヤ人であることを隠しながら、孤児として振る舞い続けるなんて、とてもできそうにない。エディもくじけそうになって父に電話でさみしいと告げたところ、強くなれと叱られたと言う。しかし、電話を切った後その父はいつも、赤ちゃんのように泣いていたそうだ。

お父さんについてエディはこう語っている。

〜「もし運良くお金と住み心地の良い家に恵まれたら、恵まれていない人を助けなさい」。父はよく言っていた。「人生で大切なことがひとつある。幸運を分け与えるもの。それだけだ」。ほかにも、受け取るより与えるほうが喜びが大きい、人生で大切なもの友人、家族、親切はお金よりもはるかに貴重だ、と言っていた。〜引用終わり

エディのお父さんは、エディを愛するのはもちろん、他の人にもふんだんに愛を与える人で、それを肌で感じて育ったからこそ、厳しい迫害の中で裏切りやあらゆる惨事を経験しながらも、親友と言える友ができ、支え合って生き延びられたのだと思う。

エディは戦後、ナチスの一人に面会して、なぜあんなことをしたのかと聞いたが、答えはなかったそうだ。

答えは憎しみ以外に見つからないとエディは書いている。

私は、人が差別をする大きな理由は、”欲しくても手に入らないものを持つ人”をもっともらしく攻撃できるからだと思っている。

好きな人がいるけれど、その人はA子が好きだという場合。もしそのA子が、人種や国籍などで、過去に差別されてきた要素を持っていたとしたら、「あの子は〇〇なのに」と憎む気持ちが生まれ、「〇〇だから罰を受けて当たり前」というふうに差別の感情に支配されてしまうのだと思う。

恋愛でも仕事でもなんでも、自分が欲しいものを持っている人を、差別してもいい対象にしてしまえば、憂さ晴らしをしながら、自分は正しいつもりで人を叩くことができる。憎しみを持っている人にとって差別はとても都合がよい。

もう一つ、抑圧されて、認められずに生きている場合、自分より下だと思える人を造って、その人を蔑むことで、自分の価値を保とうとすることがあると思う。

そういう人間の心の弱さに差別はつけ込む。

その弱さに打ち勝つことができない人は、愛情を注がれて育ったとしても簡単に人を差別し、迫害するようになるだろうし、たとえ育った環境では十分に愛を与えられなかったとしても、与えられる些細な思いやりや優しさを受け取るアンテナがある人は、その状況に打ち勝って自分の周りに愛を増やしていくのだと思う。でもそれは本当に大変なこと。できれば誰もが十分に愛される世界であって欲しいと思う。

エディが本の最後に、「どうか、毎日、幸せでいてください、そして他の人も幸せにしてあげてください。世界の友達になってください」と書いている。誰もが幸せであれば、心の弱い人でも人を差別せずにすむ。誰もが人を憎まずにすむ世の中になれば、もう二度とあんなことが起こるはずはない。そんな気持ちも込められているように思う。

エディは今もヒトラーを許さず、復讐をし続けている。

その③に続く


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