Twitterのフォロワーが伸びて、今、思うこと。
僕がTwitterにて「ちーや」として発信を始めてから約2年半が経つ。
当初は「編入」という、あまり耳馴染みのない試験のことについて発信をしていたのだけど、狭い市場で、且つ当時は「編入」に関する詳細情報を発信している人はいなかっただけに、少しずつではあったけど、2年で3000人ほどまでフォロワーがついた。
しかし、編入は一種の試験なのでせっかくのフォロワーも試験で忙しくなるとそれ以降やり取りがなくなる上に、次の年になるとほぼTwitterからはフェイドアウトしていく。
僕自身、編入試験の新しい内容を年々網羅できなくなってきていたこともあって、半年前に発信内容を「オーストラリア留学×英語×海外生活」に変えた。
そちらの方が今の「僕」であり、より深い情報を届けられると思ったからだ。
フォロワーが3000人いたとは言え、「オーストラリア留学×英語×海外生活」の内容はターゲットが全く違うので、Tweetしても「いいね」は多くて3、酷い時は全く通知がこないこともよくあった。
(発信内容を変えたこともあり、編入界隈のフォロワーには漏れなくアンフォローされており、今もなお残っているのはずっとやり取りをしていたごく少数の人達だけである)
なので今の「ちーや」という「海外アカウント」は半年前に誕生したと言ってもほぼ差し支えないと思うのだけど、当時の状況から半年間で1万人以上の方からフォローされることになったことを考えると、半年急造アカウントにしては伸びている方なのではないかと思う。
フォロワーが増えるにつれて僕の発信内容に共感してくれる人が増え、バズる回数も圧倒的に増加した。Twitterの日本勢いランキング(そんなのあったのかと初めて知ったw)では何度か1位を頂くまでになった。
他のインフルエンサーの方々と比べると大したことではないし、「ちーや」としてのアカウントレベルはまだまだすぎると思ってはいるのだけど、フォロワーが増えるにつれて今までとは明らかに見える視点・異なる経験を得ることができたので、それも含めて、僕が今思っていること、素直な気持ちをありのままにシェアしていければと思っている。
―誰かの役に立つことが、すごく嬉しかった
「編入」の内容を発信していた時から、誰かの役に立つことがすごく嬉しかった。情報が少ない中で編入の勉強法をサイトや動画で共有したら、それを実践してくれた人がいて、中には「志望校に合格できました」と報告してくれた人までいた。
自分の発信に共感してくれたことよりも誰かに喜んでもらえることの方が何よりも嬉しかったし、海外アカウントになってからもその気持ちは一切変わらなかった。
僕がオーストラリアに留学した当初は英語が壊滅的でできないことばかりだったし、留学における失敗という失敗はほぼ網羅したのではないかというくらい、人にも迷惑をかけまくった。
留学する前に知っておけばよかったこと、より留学生活を有意義にできたのではないかと思うことが多々あったので、これから留学する人に向けて同じ目線で情報を届けることができれば、少なくとも誰かの背中を押すことくらいはできるのではないかと思っていた。
そして、それは実際に現実となり、
「海外に行ってみたいと思うようになりました」
「今からでも、留学は遅くないよね」
「頑張ってみようかな」
と、嬉しい声を頂けるようになった。
僕の積み重ねたどうしようもない「失敗」が誰かの1歩を後押しするものになることほど、報われる瞬間はない。
僕はすごく単純なので、こういう反応をもらえばもらうほど、もっとリアルな情報を発信しようと思うようになった。
―フォロワー増加に伴う、誹謗中傷
フォロワーの増加に伴い、SNSの暗い一面もあらわになり始めた。何をどう発信しても、反対意見を持つ人で溢れたのだ。
反対意見それ自体はそんなに問題ではないと思っていて、むしろ僕の主観で世界を切り取り、140字という狭い表現範囲の中で発信しているのだから、そのような意見が出るのは至極当然だと思う。
僕はまだまだ未熟すぎるので、反対意見から学ばせてもらえることは多々あって、それ自体はすごくウェルカムである。
しかし、「意見」とは程遠く、性質の異なるものもドンドン多くなった。僕がどんなことを呟き、発信しても、頭ごなしに否定されることが増えたのだ。
特に、オーストラリアのことについて発信すると
・出羽守
・売国奴
・日本の恥
・日本が嫌いなら帰ってくるな
等、一般的にいうところの誹謗中傷が増えた。
SNSは顔が見えないので、その先に人がいるということを忘れがちになる。
どう言葉を丸め、優しい表現に変えたとしても一定数このような人達が反応してきて、酷い時は
『さっさと死ね』
と書かれることもあった。
表には出さなかったけど、正直、辛かった。
僕はただ、僕の見ている世界をシェアし『こんな価値観もあるんだね』とか「行ってみようかな」と、感じてほしかっただけなのだけど、難攻不落の要塞に閉じこもるかのように僕の発信は断固として拒否され、それは尖った槍として僕に跳ね返ってきた。
僕のことをあまり知らない人ほど僕を嫌い、僕の発信内容に怒り狂う頻度の増加は火を見るより明らかだった。
オーストラリアの文化や英語の面白さに言及した際には、SNSの洗礼という名にふさわしい炎上も経験した。
このTweetでは、僕が学習してきた英語と実践の場とでは大きく違ったこと、教科書だけで英語学習は終わらないことを、オーストラリアのカジュアルなカフェでの会話を通して紹介したかっただけなのだが、僕の予想とは裏腹に、特にイギリス在住の方に全く別物として捉えられてしまった。
『イギリスでGood, you?なんて使ったら差別される』
『イギリスではI’m fine, thank youと言う』
と。
確かにそうなのかもしれない。
しかし、そもそも僕はオーストラリアの話をしているのであってイギリスのことは一切触れていないし、オーストラリア英語が絶対であるとは一言も言っていない。
正直ここで
『イギリスではそうなんですね、勉強になりました』
と返せば何事もなく終わったのかもしれないのだけど、
『むしろ、I’m fine thank youの方が使いませんよ』
と、未熟すぎる返答をしてしまい、とんでもなく炎上してしまった。
ある特定の方への返信だったはずの内容が
『オーストラリアではI’m fineを使わない』
ということだけが切り取られてしまい、拡散され、僕の意思とは異なるところで『ちーやの意見』が一方的に作られてしまった。
拡散の速さは僕1人では収拾がつかず、結果として、更なるアンチを生むことになった。
『学校教育をバカにしてるのか』
『経験の差だから、歳上の意見には従いなさい』
『イキリボーイ』
もう、どうして良いのかわからなくなった。
オーストラリアの話をしているのに、なぜイギリスの話が出てくるのか。
学校教育の土台があった上でその先にも学ぶべきものがあると伝えたかったTweetが、なぜ逆の意味に歪曲しているのか。
なぜ、歳上の意見は絶対なのか。
なぜ、歳上に反論したらイキリボーイと言われるのか。
もちろん、論理的に説明してくれる人も中にはいて、特に『学校教育の重要性』については僕の言葉不足であったことは後に理解できたのだが、メディアがどのように切り取られ、自分の意思とは関係なく、大衆の中でイメージ像が作られていくのか、ということを僕は身を以て体験することになった。
―フォロワーが増えて、今、思うこと
フォロワーが増えるにつれて、このような情報の切り取り・拡散が起こり、言ってもいないことが広まることから僕のことを嫌いになる人も増えていったのだけど、その中でも気付いたことがいくつかあった。
まず1つは
「SNS上で何を言われ、どう叩かれようと、いつもと変わらない毎日がやって来る」
ということ。
『アホだろ』
と言われても、それは事実なので否定のしようがないし
『さっさと死ね』
と言われたところで、僕の健康状態が急に悪化して死亡することはほとんどない。
(あるかもしれないけど、今のところ確率は低いw)
『日本が嫌いなら帰ってこなくていい』
と罵倒されても、僕が日本を大好きなことは1ミリも変わらない。
「何を言われても、僕が『僕』であることは変わらない」ということに、齢27にしてようやく気付くことができた。
海外アカウントインフルエンサーの代表格であるカンタさん(@theonlykanta)は、以前、このようなTweetをしている。
100人中
20人がファン
79人が中立
1人が声の大きいアンチ
だとして、
どうしてもこの声の大きなアンチが目立つ
でも我々は20人のファンを楽しませることにフォーカスするんだよ
僕は、何もしていないし、会ったこともないのに1000人以上から嫌われているが、全く気にしていない
やるべきことをやるだけ。
海外アカウントとして右に出るものがいない彼だからこそ思う部分がきっとあるのだと思うし、もうこのTweetが全てを物語っているように思う。
僕が失言してしまった時、
『こういう言い方だったら良かったかも』とか、『また1つ成長できたね』と、背中を押ししてくれる人が大多数いた。
僕のことを心配し、わざわざDMしてくれた人もいた。
どれだけ叩かれても、僕のことを変わらず好きでいてくれる人が、確かにいる。
僕にとっては、もうそれだけで十分だと思えた。
誹謗中傷が増える中で、僕が今もこうして発信を続けられているのは、常変わらず僕のことを大切にしてくれているフォロワーの皆さんのおかげである。
どれだけ叩かれ、罵られ、誹謗中傷されても、僕は、僕を愛してくれる人を、僕を大切にしてくれる人のことを、もっと喜ばせることだけを考えよう。
「海外をより身近なものに。
より素敵な価値観・世界観をシェアできるように。
誰かの日常が少しでも笑顔に変わるように。
どれだけフォロワーが増えても、
僕は、僕のまま、発信を続けていこう。」
と思えるようになった。
顔の見えないSNSでは誹謗中傷は日常的に起こっているし、匿名で心無い言葉の連打が横行しているわけだけど、その一方で、人として本当に大切なものに気づかせてもらえたように思う。
たかがSNSと言われるかもしれないが、僕にとっては人の温かみを知った半年間だった。
長々書いてきたけど、このnoteで伝えたかったことは、たった1つだけ。
どう伝えるべきかすごく迷ったけど、これ以外に今の僕の気持ちを表す言葉は見つからなかった。
フォロワーの皆さん。
いつも、本当にありがとう。
ちーや
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