「花束みたいな夜」 上
1分小説
この物語は2章構成になっています!
第一章: 花束のような出会い
里田瑠璃は、28歳。彼女は東京の小さな和菓子屋「青柳堂」で働いている。店の外には小さな提灯が揺れ、夏の湿った風がその下を吹き抜ける。彼女の仕事は、細やかな手つきで和菓子を美しく並べることだけでなく、時にお客の心のこまやかな波紋を感じ取り、それにそっと寄り添うことだった。瑠璃は独身で、その心遣いは時折、自分自身に向ける暇もないほどだった。
そんなある日の夜、彼女は店じまいの準備をしていた。ふと、扉が開く音がした。入ってきたのは30代半ばと思われる背の高い男だった。どこか無表情だが、その目には不思議な温かみがあった。彼は戸惑うことなく、ショーケースを覗き込んでから、短くこう言った。
「桜餅を一つください」
瑠璃は彼の落ち着いた声に少し驚いた。桜餅は今の時期には珍しい選択だったが、特別に冷凍保存していた数個を思い出し、そっと袋に包んだ。
「珍しいですね。今の季節に桜餅を頼むなんて」
彼は少しだけ微笑んだが、その笑みは儚げだった。
「昔、誰かが好きだったんです。もう会えない人ですけど、今日はふとそのことを思い出してしまって」
瑠璃はその言葉に一瞬、息が詰まったような感覚を覚えた。何かが胸の奥で微かに響く音がした。自分とはまったく関係のない話のはずなのに、彼の言葉はまるで夜空に咲く花火のように、心に染み込んできた。
「そうですか…」
それ以上、彼は何も言わず、瑠璃も特に問い詰めることはしなかった。彼は桜餅を手に取ると、静かに店を出て行った。その姿を見送りながら、瑠璃は思った。この人ともう一度会うことはないかもしれない。でも、彼が感じたその思い出の深さに、自分も少しだけ寄り添えたような気がした。
夜風が冷たく感じられ、ふと彼が消えた先に視線を送ると、瑠璃の心に一つの花束が咲くようだった。それは言葉にできない、名も知らない感情だった。
つづく
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よろつよ
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