見出し画像

鏡花水月

最近短期記憶が覚束ない、そして耳で聞き取れる音が格段に減っている。一時的であるとわかっているので今更どうということもないが、音が聴こえなくなるといつも怖い。ただでさえ人より高音が聞こえづらいのに、ここにいるなと言われているようで。人より目が見える、色の美しさなどの視覚情報に頼りにしている。ただそれだけのことなのだけれど、ただそれだけのそれだけが怖くて、この場所にいてはいけないような、音楽を愛してはいけないような、そういう感覚になる。本当はライブにも出たいし、音楽もやりたい。色んなやりたいがあるのに何一つ身体が動かない。大した思想なんて持ってないくせに、大した信念もないくせに、素直に音楽が出来るあなたが羨ましい。くそ、死ねばいい、こんなこと考えている自分なんて。きっと貴方だって無意識有意識に限らず何かしらのきっかけがあってこうして音楽を鳴らしているのだから、それを否定することなんてたとえ私の内心の自由が保障されていようともしてはいけませんね、ごめんなさい、と、くそ本当に、死んじまえ。の繰り返しである。どうせ自分には向いていない、お前はこの場所ではない、思い込みだとわかっていてもあの時の地下室の言葉がどんどんと私の心を叩く。あの時から変わってないのかよ。一言も喋れなかった自分を強くして、誰とでもわかり合いたいと人と喋ることを己に課して、誰よりも優しく強くあろうと思った、外向的に振る舞えるように、周囲からのアドバイスは聞ける限り聞いてきた。自分の調子が良くなるまで内向性で人を殴ることを辞めて、自分の出来る範疇で何一つ理解できもしない人間と語り合うことを覚えた。黙りこくって、誰とも理解し合えないと塞ぎ込む過去の自分にもう大丈夫だと言ってやれるように、何十年前に死んだ祖父に顔向けが出来るように、時に自分に周囲に大量の嘘をついて、笑えもしねえのに笑って、無知が死ねと心の中で何度人間を罵倒したかなんて数えきれないがそれ以上に人間が好きだとも思った。明日が締め切りの詩集も言葉が出てこなくて、365日2〜3編詩をかけていたあの頃はなんだったのだろうと思う。別に耳が聞こえなくたって、目が見えなくたって、私と仲良くしてくれる人間はこれを読んでいる貴方のようにきっとゼロではなくて、そんなことはわかりきっていて、それでも不安を覚える私の物事の捉え方は、思い込みの一つに過ぎなくて、きっと朝起きたら私は何事もなかったかのように鞄に荷物を詰めて、昨日は疲れていたんだなと白湯を飲みながら考えているのだろう。気分が落ちている時の文章は起きてからでは魔法から覚めた後の文章なので酷く気色悪くて、自己陶酔に満ちていることを誰でもなく私が一番よく知っている。研究室の実験ノートにびっしりと覚えられないからと必死に全部書いて、書いた後にいや無駄だな、と無駄じゃなかったなを繰り返している、壮大な虚無と軽微な達成感の上塗り。結局自分は何も出来ない人間なのだ。小さな行動の不備を指摘され、悔しいと思いながらもそれを表に出さずにケラケラと笑って、内心なぜそんなケラケラと笑えるのかと自分に問いながら、同時にケラケラと笑った方が周りが重く受け止めないだろうな、という洞察がある。嗚呼、書庫に篭ろう。診断が下っていないだけで、今の私はれっきとした精神異常者だ。きっと病院に行くなら数年前から行ったほうがよかった。ただ数年前それを、思想で乗り越えた。そんな過去を私は少し誇りに思っている今があって、どうせあの頃に比べて今の方が大丈夫だろうから、だから大丈夫だとか、そういう根拠のない大丈夫を大丈夫にして生きている。温かい布団で眠ることができて、朝起きて空が美しくて、ご飯を食べることができて、そんな小さな幸せを感じられる自分がいるから、今は大丈夫だとそんなことを思う。辛い闇の中で矯正したことを全て教訓にして、いつか自分と同じような闇の中にいる人を自分をめいいっぱい愛した後のこぼれ日で救えたらいい。自分の好きなことで生きていていいという人がいる、その好きなことをやっていきながら、その傍の光が、誰かの学びを得る机の照明になってほしいだけだ。

いいなと思ったら応援しよう!