世界一大切な推しが公式に墓荒らしされた話
このnoteは、3年以上前に「continued story」というタイトルで投稿したものです。
久しぶりにログインして、何か記事を書いたことがあったか確認した際に見つけて読み返し、文章がめちゃくちゃだなと思ったものの、気持ちは今も変わっていなかったので、タイトルだけ変えることにしました。
ここ数年で色々な作品のリメイクや続編が10年以上の時を経て制作、完結しましたが、そういった作品を楽しませていただく中で、「この作品も、昔から大入れがあるファンからしたら許せないものかもしれない」と考える機会が何度かありました。
実際に、「こんな変更を受け入れられない」というファンの声も複数の作品で目にしました。
作品の大ファンではないライト層が、一番気軽にリメイク、続編、外伝のようなものを楽しめるのかもしれないと思いましたが、それで良いのかもしれないとも思いました。
最後に一つ3年前の自分に伝えたいことは、「私は今もルルーシュを世界で一番愛しています」。
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「noteに何か書いてみたい」、そう思い立ってから、先ずはタイトルに悩んだ。
本当は「世界一大切な推しが公式に墓荒らしされた」くらいのタイトルをつけてやろうか?と思ったけれど、結局自分は腹を立てているのではなく、悲しいのだと誰かにわかってほしくて、R2最終話の挿入歌であるこのタイトルを選んだ。
私はコードギアスが好きだ。
テレビアニメ放映時から、今日までずっと好きだ。
復活のルルーシュが公開されてから今日まで1年間、「最高だったと思えない自分がおかしいのかもしれない」、「10年間、ずっと何か間違えていたのかもしれない」と考えてきて、本当は自分がどんな感情なのかも、テレビアニメを見ていたときの気持ちも、よくわからなくなってしまった。
だから、1年前の素直な気持ちも、2008年の素直な気持ちもわからないままに、2020年のリアルな感情だけは、ここに残しておきたいと思う。
私がコードギアスで特に好きなのは、作中のキャラクターたちの会話だ。誰も正義ではないかもしれないし、誰も完全な悪ではないかもしれない。それぞれが自分が思う最善を尽くしても、求める未来は交わらないかもしれない。
主人公であるルルーシュに感情移入し、ルルーシュこそ正義だと思いがちだが、視点を変えればルルーシュは悪でしかない。
誰のことも責められないのに、何かを選ばなければ生きていくことさえできない。
選択の先に、願っていることばかりが待っているわけではないし、憎めてしまえば楽な相手の望みがとても純粋なものであることもある。
「組織に、システムに入れない人はどうするのよ!それは違うって、どうやって言えばいいのよ!高いところから偉そうに言うな!」
「組織に入るしかない人はどうなる?正義とは・・」
という、R2の最終話のカレンとスザクの問答は、異なる正義がぶつかり合うコードギアスの中でも、特に好きなのはやりとりだ。
2人の主張は、どちらも間違っていないのだ。
「じゃあどうしたら良かったのか」なんて、誰も教えてくれない。
それでも、「明日は今日より良くなる」と信じ続けるルルーシュの姿に、私は酷く惹かれた。
私はルルーシュが好きだが、彼を聖人だとは思えない。
中にはルルーシュを神聖視するファンもいるし、私はそれを尊重する。
公式自身が、ブルーレイBOXに「贖罪」という文字を入れ、復活のルルーシュ内のルルーシュの誕生シーンは、とても神々しいものだった。
確かにルルーシュは、優しい世界を残してくれたけれど。
私はルルーシュを世界で一番愛しているけれど。
何人犠牲にしただろう。
本人の意思でなかったとしても、どれだけの人が大切な人間を奪われたんだろう。
ゼロレクイエムの準備を始めてから、どれだけの人が、その「より良い明日」の犠牲になったんだろう。
だれも完全な正義になれなかったコードギアスの世界で、誰も完全な悪になれなかったコードギアスの世界で。
ルルーシュは聖人なんかじゃない。
復活のルルーシュへの否定的な意見に対して、「BL展開じゃないから」、「ルルーシュに死んでて貰わないと泣けないから」という攻撃的な意見を見かける度に、そうなんだろうか?と自問する。
私は一度だって、ルルーシュに死んでほしいと思ったことはないはずだ。
ルルーシュとスザクが恋愛関係にあるとも思っていないし、別にルルーシュがC.C.と好き合っていても、カレンと好き合っていても、シャーリーと好き合っていても、ミレイと好き合っていても良いと思う。
そして、私はC.C.が好きだった。
大好きだった。
最後までそばにいてくれたC.C.を、ルルーシュの一番の理解者として認識していた。
むしろ、復活のルルーシュの一番の被害者は彼女であるとさえ思う。
C.C.が、ルルーシュを恋愛対象で好きであったとして、永遠に生き続ける彼女にとって、ルルーシュのいない世界が、有限を生きる人間とは比べものにならない程苦痛なものであったとして。
それだけ好きな人間の気持ちを考えることもできないのか。
あれだけ、不死が辛いと、死にたいと言っておきながら、その地獄に、好きな人を引き摺り込むのか。
「人間らしさを出したかった」と言うけれど、「わがまま」で、そんなことができるのは、人間でも魔女でもない。
化け物だと思う。
C.C.だから怒っているわけじゃない。
あれがだれだとしても、絶対に許せない。
本人になんの意思の確認もなく。
シャーリーもジェレミアもそれに賛同している。
私がおかしいのか?生きてさえいれば良いのか?
そりゃ、そうかもしれない。
私だって、とても大切な人がこれから死ぬとわかっていて、それを阻止できるかもしれなければ、すがるかもしれない。
その時は。
その後は?
その人の意思は?
「死んで許されるわけがない」という意見は最終話放映時からあった。
私もそう思う。
それでも、「自分として生きたい」と願ったルルーシュが死に、「死んで罪を償いたい」と願ったスザクが生きる。
お互いを罰しながら、お互いを救っているような、そんな最終話が好きだった。
C.C.が希望を持って前に進んでいるようなエンディングが好きだった。
あれは、ルルーシュ復活の算段でも考えている笑顔だったというのか。
CDアルバムの「ルルーシュは今幸せである」にこの10年すがってきた。
ルルーシュは幸せだと、ルルーシュの目を見て言えるのか。
生きていれば幸せか。
そういう考え方もあるだろう。
ただ、コードギアスはそういう作品ではなかったはずだ。
そんなシンプルな、簡単な世界じゃなかったはずだ。
生きていれば幸せなら、それでみんなが納得するなら、あんな50話は要らなかったはずだ。
私はルルーシュに死んでいてほしかったのか。
生きていてほしかったはずだ。
ルルーシュが生きていればそれで良かったのに。
だけど、ルルーシュにとってはそうじゃなかったんでしょう。
ルルーシュにとっては、自分の命よりも、自分がずっとほしかったものよりも、自分を傷つけてきた世界が大切になっちゃったんでしょう。
ずっと人を疑って、欺いて生きてきたのに、自分がそこにいなくても、ちゃんと世界は回るって、思えるようになっちゃったんでしょう。
だから、それで良かったんだなって、10年かけて思えるようになったんだよ。
こんなことになると思ってなかったんだよ。
ルルーシュが、不死になってもそれで良いやと受け入れるなら、また受け入れなきゃいけないの?
もう、ルルーシュが、私たちの知っているルルーシュなのかさえわからないのに。
亡国のアキトの来場者特典がルルーシュとスザクばかりになった辺りから、客寄せパンダにしないと客が入らないのか?
来場者数のためだけに登場させられているのか?
そんな不信感はあった。
復活のルルーシュが製作決定した時、漠然とした絶望があった。
「あれで完璧な最後だったのに」
それでも、谷口監督がやるというなら、きっと素晴らしい作品ができるに違いないと思い、前向きに考えるようにしていた。
劇場版3部作は、演出も曲も素晴らしくて、復活のルルーシュも、みんなが納得するものになるに違いない。
またルルーシュに会える!
そう思っていたのに、まさかルルーシュが一番信じた共犯者が、ルルーシュの尊厳を奪うとは。
大袈裟だという人もいると思う。
復活を喜ぶ人もいると思う。
なんで私は喜べないんだろう。
10年間は、短くはなかった。
10年間、ルルーシュの死を、ルルーシュが選んだ最善の結末だと、ルルーシュの意思だと思っていたのに。
ルルーシュの意思とは関係なく復活させられ、不老不死になりました、今後は人間ではないのでC.C.と行動を共にします。
突然そう言われても、私には喜べなかった。
コードギアスをシリーズとして続けていくために、必要なことなのかもしれない。
反逆のルルーシュが大きすぎて、一度清算が必要だというのもわかる。
きっと単純に、私はコードギアスシリーズより、コードギアス反逆のルルーシュのルルーシュが大切だったんだ。
復活のルルーシュの世界線はきっと今後も愛せないし、今後出てくる作品を追うこともないと思うけど、
2008年から心のど真ん中に居続けるルルーシュ・ヴィ・ブリタニアのことは、これからも世界で一番愛してる。
その気持ちだけは、今後も変わらないと思いたい。
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