添野知生のただこの曲を聴け!

ボーイズ・ドント・クライ 『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』(第197回)

(存在しない映画秘宝2020年4月号に掲載)

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(2019年イギリス公開時のポスター)

 超正統派ユダヤ教徒が同性愛を許さないことを初めて知った。許さないと言われたほうは、自分を否定するか信仰を否定するしかないわけで、この映画はそうして道を分かった二人の女性の再会を描いている。

『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』(2月7日より全国公開中)は、北ロンドンの超正統派ユダヤ教徒のコミュニティで、長老格のラビが引退記念の重要な説教のさなかに昏倒する場面から始まる。ラビには絶縁した娘がいて、彼女はニューヨークで写真家として自立している。父の死を知り、危篤の連絡もなかったことを知った彼女、ロニート(レイチェル・ワイズ)は、怒りをあらわにし、バーで酔い、行きずりの男とのセックスにストレスをぶつける。つまり彼女は信仰から離れて生きていることがわかる。

 レイチェル・ワイズがスーツケースを引いてアメリカから飛来するが、ロンドンのユダヤ人コミュニティは彼女を拒絶する――という展開は、3年前の映画『否定と肯定』と同じ。ただし今回の彼女はこの町の出身であり、超正統派ユダヤ教徒の話ではあるが、保守的な小さな町にまつわる普遍的な物語と考えることもできる。

 ロニートは、共に育った幼なじみの二人、ダヴィッド(アレッサンドロ・ニヴォラ)が父の後継者に、エスティ(レイチェル・マクアダムズ)が彼の妻になっていることにショックを受ける。ロニートとエスティはかつて恋愛関係にあり、ロニートが国を出たのは、父と町がそれを許さなかったためだった。

 レイチェル・マクアダムズは、疲れた表情や、保守的な生活を象徴するウィッグによって、これまでにない面を見せ、少しずつ情熱を取り戻していく後半との落差がすばらしい。プロデューサーでもあるレイチェル・ワイズが、より難しいほうの役を彼女に任せたことがわかる。

 エスティとの関係のほかに、ロニートは父親に認めてもらえなかったこと、和解できないまま死別したことに強い確執を抱えている。ロニートが写真家であることが重要で、父親の写真を撮りたかったと言う場面には深い悲しみがあるし、エスティにカメラを向ける瞬間には感動がある。そして、父親との関係をファインダーを通してとりあえず解決する終盤の解放感とユーモアがすばらしい。

 じつは最初のラビの説教の場面で「人間だけが選択できる」という結論が出ている。映画は最後にそこへ戻っていく。エスティの身に起きた変化が、観客の予想とは逆の方向にプロットを引っ張ることになる。これもいい。

 そして、女性ふたりが心を決めたあとの場面では、男である私はダヴィッドを応援することになる。心の中でずっと、ダヴィッドがんばれ、自分のため、かつての三人の友情が本物だったことを証明するため、そして何よりも自分の信仰のために、がんばって決断しろ、と応援してしまう。

 この映画には原作小説があり、驚いたことに著者は、先ごろ長篇SF『パワー』(河出書房新社)が翻訳されて話題になったナオミ・オルダーマンである。『パワー』が紹介された時点ではわからなかったが、自伝的デビュー作の映画化がこれだというから、ロニートにはイギリスからアメリカに移り、またイギリスに戻ったオルダーマン自身が投影されているのだろう。

 ロニートがエスティと二人だけになり、空き家になった実家を訪れたとき、父の居間で小さなラジオのスイッチを入れる。宗教放送の音を遮るようにダイヤルを回すと、ザ・キュアーの「ラヴソング」が聞こえてくる。二人とも知っている曲、かつて一緒だったころに聴いた曲であり、「何でも話し合えた」という三人の連帯と友情を思い出させる曲なのだろう。いま40歳ぐらいだったら、これがヒットした89年のロニートとエスティとダヴィッドは中学生だったことになる。

あなたと二人だけになるといつも
家に帰った気になる
完全な自分に戻った気になる
若いころに返った気になる
陽気さを取り戻した気になる
どれほど遠く離れても
どれほど長く留まっても
口でなんと言おうとも
あなたへの愛は変わらない

(The Cure, Lovesong)

 映画を見たあとで、改めて曲を聴き、歌詞を読んでいたら、とつぜん涙が止まらなくなった。シンプルな詞だが力があって、なるほど名曲と言われる理由がわかる。映画で使われることはほとんどない曲だが、この場面、この二人の物語にはぴたりと合っていて、どの一節もまるで当て書きされたように聞こえる。



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ザ・キュアーの1989年のアルバム『ディスインテグレーション』に収録。シングルカットされ、英18位、米2位のヒット曲になった。
https://open.spotify.com/track/1y6XHeNN5DSX5PYy7gT0qL


『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』公式サイトはこちら(ファントム・フィルム)

ナオミ・オルダーマン『パワー』はこちら(河出書房新社)