硝子の中
私はいつも、何事もなかったかのように振る舞いたいと思っている。
鈍感であるように見せかけたいのだ。
何かの一例を見てそれが全てであるかのようには思いたくないし、実際にはそうである可能性のほうが低いはずだ。
だから私は鈍感に、フラットでいたい。
そうはなれなくても、そうであるかのように見せる努力はできる。
だけどこれまで我がことのように見守り、ときには発育のための雨や陽射しになれたような錯覚さえおぼえ、膨らみ始めたそのひと粒にしてきたことを、ある観点からだけで害虫ともするように見做されてしまったことだけには、どうしても納得がいかなかった。
『言葉は誤解のもとだから』とキツネは言ったけれど、渦巻く大海の中ではたったひとつの挙動が、弁解の余地なく誤解されてしまう。
言葉を届けようとしても、文章だけを頭にいれて、それを届けようとした心は認めないことができてしまう。
何に混乱していたのかあのときは分からなかったけれど、そのことが一番、苦しかった。
私はあなたと直接話がしたかった。
浅瀬へ放つのではなく、お互いの言葉を認め合うことができたなら、きっと瞳の輪郭が見えるはずだ。
誰にも間違いなどなかったという観点にも気付けただろう。
誰しもに見直すべき点があることにも。
『発見した』だけであなたの中に害虫が生まれ、どうしようもなく醜く映ったそれを許せないのはとてもつらいことだと思う。
幸いなことに人は忘れることができるから、その仕組みに任せるのもいいのかも知れない。
だけど私はこのnoteを書くスタンスに於いて、とても大事なことになる気がして忘れることができなかった。
この波間を揺蕩い続けるならばきっといつかまた同じことが起こるだろう。
そして私はあなたのことも諦めたくなかった。
あなたが忘れてそのまま楽になれるなら構わない。
けれど私たちなら対話さえできれば、お互いの世界に侵食する、インターネットによる災禍とも呼べるものを健全に消すことや、新しい歓びを得る可能性があることを知って欲しかった。
あなたが絶望までの驚きと怒りを覚えたように、私にも同じほどの繊細さと信念があるとあなたも知りたいと思えたなら。
これは弁解ではなく嘆願である。
私の瞳を見てください。
私は何も拒みません。
あなたが大切だと思ったひとを、私も同じように慕っているでしょう。
そして楽になってください。
純粋なその心に染みついた、直視できないものは、本当はなんでもないのです。
人が忘れることと同じくらいの救いをここに見つけたので、手紙としてボトルに詰め、波に委ねます。
私はとても能天気だから、もしくはそう思えるだけの場所を歩いてきたから、閉ざすことより開くことの揺るぎなさを信じている。
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