文字と言葉と人の考え
「言葉」を使う動物が「ヒト」だけなのかどうか?
私は「ヒト」以外の動物になった記憶がないので、他にも存在するかどうかはわからない。
もしかしたら、他の動物もこそっりと「言葉」を使ったコミュニケーションをしているかもしれないけれど💦
さらには「文字」となるとまた難易度が上がる。「言葉」を記録する意味での「文字」は、お互いの意思の疎通を目的にするため、内容が相手に伝わる必要があって、単なる「暗号」ではダメだから。
私は今、一応「ヒト」として生きているので、今日は「ヒト」と「言葉」や「文字」について考えてみたいと思う。
noteもそうだし、他のSNSやブログ、あるいは本など、他の人の日記や意見や小説や実験結果・・・その他いろいろな発信物を読めるのも、言葉によるところであり、その恩恵に与れるのも文字を読んで理解できるように鍛錬されたからなのだと改めて思う。
言葉や文字がなかったら、今の自分の氣持ちや考えをどうやって表現するのか?
例えば「嬉しい」「悲しい」「お腹すいた」「眠い」などなど。
例えば「りんご 食べる?」と聞きたい時。
同じ部屋でもあっち向いて座ってる旦那さんに「りんご 食べる?」と問いかければ「食べる」か「食べない」と返事がもらえる。
でも言葉がなければ・・・
旦那さんの前にりんごを持って行って見せて、食べる動作をしてみせて、あなたも食べたい?と動作で確認することになる。こりゃ食べるまでに時間かかるね〜🤣(ポイントはそこじゃない💦)
まぁ同じ部屋の中なら許容範囲かも知れないけど、一事が万事、目の前まで持って行って動作で確認するって、とてつもなく大変な氣がする。
食べるか食べないか、そんな簡単なことならまだしも、それがもっと複雑な事柄になると、きっと面倒臭いことこの上ない💦
世の中にはいろんな人たちがいて、そのいろんな人たちがそれぞれに想いを持っている。それらを言葉や文字で伝えてくれているので、実際に現地に行って見れない物事を知ることが出来る。
「言語」が違っていて、直接的には伝わりにくかったり、文化や習慣に共通性がなくて解りづらい場合もあるけれど。
他人の意見を見たり聞いたり読んだりして、自分の考えや氣持ちがより鮮明になることもある。そんな時も、自分の頭の中ではやはり「言葉」を使って考えている。
もし言葉や文字がない世界に生きていたら、何か考えたこと、思いついた事があったとしても、それをどうやって認識するんだろう?
またそれらを長い時間にわたって記憶しておけるかっていうと、自分の記憶力にそこまでの自信もない。
そう考えると「言葉」と「文字」って重要なツールだなと思う。
自分にも思ってることや伝えたい事がある訳で、だから今だってこんな風にnoteの記事を書いている。
自分の中で、とても自然にいろいろな「言葉」を使う。
頭の中でも声に出しても。
そしてそれは、こうやってその時々の意識を記録する「文字」を持っているから出来ること。
100%の想いを伝えきる事は難しいかも知れないけれど、それでも今生きている「ヒト」の世界に「言葉」と「文字」があって、頭の中で考えた事がゆっくりながらでも「整理できる世界」で良かったなと思う。
でもその反面・・・
「言葉」や「文字」が一人歩きしてしまう懸念や、一定方向へ煽られて連れていかれる懸念ももちろんある。
そこの部分には十分注意しないと〜と思いつつ。
今日も「言葉」と「文字」で、こんな記事を書いてみました。
最後まで読んでくださり、たいそう感謝でございます。
いつもありがとうございます🎶
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