理想の暮らしに、殺される。

部屋がぐっちゃんぐっちゃんだ。

これ、パソコンを開いてるダイニングテーブルの残り半分です。やばいでしょ??ごっしゃーー…ってなってる。なんでオムツの空き袋がテーブルに載ってるんだ…。

家中ここまで散らかってるわけでは無いけれど、物があふれてる。見るたびにげんなりする。

片付ける、また散らかす。いつの間にか物が載ってる‥延々ループ。

「理想の暮らしに殺される」

この物騒なタイトルは、先日ふっと思いつきました。

わたしは暮らしの本を読むのが大好きで、さかのぼればリニューアル前の「kunel」にはじまり、「暮らしのおへそ」「天然生活」その他暮らし関連の本をたくさん読んできた。

そこに広がるのは、すっきりしていて、いつもピッカピカなお部屋とおうち。使いやすそうなキッチン。こだわり抜かれた器の数々‥

「いいなあ」「素敵やなあ」‥そして本からふと目をあげると、そこにはごっしゃーーーーーと散らかった我が家。

ほんと、嫌になる。

本の中の人たちは、部屋だけじゃなく、食生活も美しい。ジャンクなものとかあんまり食べない。

外食もあんましない。簡単そうに見えて手の込んだ料理か、がっつり手の込んだ料理ばっかり食べている。

スキンケアだってオーガニックだし、なんなら家ごと自分たちでフルリノベしちゃってるし、朝は早起きで夜は早寝。

お弁当だってなんだって、とにかく「手をかけ、時間をかけ」ているように見える。

そんな「素敵な暮らし」ばっかり見てきたもんだから、いつもいつもその情景と自分の暮らしとを比較してしまう。

疲れ切って手抜きのごはん、なんならガストにココスに丸亀製麺。服は去年から特に変わらず、ユニクロや無印のものを着まわす。

スキンケアまでお金は回らないから、息子用に買っている無添加ジェルを家族みんなで共用。

月一ある保育園のお弁当には冷凍ポテトとハンバーグ。それとおにぎり。

家のことが終わったらへとへとで、ソファーに倒れこむ。

水周りだけはマメに掃除するけれど、あとは適当。気が向いた時、元気があるとき。

片付けても片付けても散らかされるから、最近はおもちゃを綺麗に収納するのも諦めた。洗濯物もほぼ畳まない。乾いたところから各自取り出すスタイル。

はっはっはっは。どうだこの、「素敵な暮らし」から程遠い現実は!!!

ああ、理想の暮らしに、わたし殺されてしまう。

つまりこういうことです。

わたしの頭の中には、「こうあるべき、理想の暮らし」がパンパンに詰まってる。でも、実際はそんな素敵暮らしはできていない。

だから毎日罪悪感の嵐。こんなことじゃだめだ、こんな暮らしじゃだめだ。もっとちゃんと!!もっとちゃんとしなければ!!!!!

…1日の終わりに、そんなことばっかり考えている。

で、さ。

ふと思ったわけです、「理想の暮らしに殺される」って。

だって、今の暮らしはたしかに整っては無いかもしれない。でも家族全員元気。部屋が散らかってようが笑いに溢れてる。

ごはんだって、手はかけられないけど、ほぼ自炊だし、洗濯も毎日回す。

保育園弁当だって、「またお弁当つくってくだしゃーい!!」っていつも息子が言ってくれる。彩り皆無だけど、しょっちゅう「こんどお弁当いつ?」って聞いてくる。

クマさんだって何も責めてこない。むしろ「毎日ありがとう」って言ってくれる。

ああ、わたしだけが、延々自分を責めてるだけなんだわ‥って気づいた。

素敵な暮らしは素晴らしい。やっぱり憧れる。美しく整った家に住みたいと思う。

でも、そうじゃないからといってダメってことじゃない。

毎日必死に仕事して、子育てして、家事して。充分がんばってる。もっと頑張ればもう少しだけ理想に近づくのかもしれないけど、その「もっと頑張る」が危ないのだ。

今でも結構カツカツの気力体力。もっと、もっと‥の行きつく先は、強制終了。

今の暮らしを否定して、こんなことじゃダメだと責め続ける毎日。そりゃあ疲れも取れないし、不安感でパンパンになる。

ちょっとやめよう、責めるのは。

そりゃあね、このダイニングテーブルはちょっとひどいと思うよ?

(もっかい載せる)

さすがにちょっと片付けようと思うけど、理想の暮らしが出来てない=ダメってことじゃないから。

そこをごちゃ混ぜにしてしまうと、本当に毎日がつらくなる。そう、理想の暮らしに殺されちゃう。

しゃーーーーないやん!!!これがわたしなんやからーーー!!!!

理想の暮らしはあくまで理想。
憧れは大切だけど、殺されちゃだめ。

自戒を込めて!


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