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あるカーデザイナーのクルマ選び008

2nd car

1982 VOLKSWAGEN Golf1 3ドア
GLi (インジェクション) 初期型 ホワイト

T自動車にデザイナーとして採用してもらった私は、愛知県で独身寮生活を開始しました。

給料をもらえるようになり、会社の信用のおかげでローンも組めるようになりました。
同期の連中は最新型の16バルブや24バルブといったハイスペックエンジンを搭載した新車を購入していました。その多くは、新入社員の研修として必須となっていたセールス実習で、故郷の近くの販売店に1ヶ月半ほど行き、自動車販売を経験する際に自分で買うというパターンでした。

セリカは3代目となり、XX(今でいうスープラ)という直線的でシャープな面質の超モダンスタイル、通称”パキパキ”セリカや頭文字Dで話題となったFR最終モデルのAE 86レビン/トレノのが人気でした。

大衆車セダンは室内空間を人のために確保するため、また、燃費競争の風も吹き始めそうな時期で、ドライブシャフトレスで軽量になるメリットもあり、FF化が始まっていました。この世代のカローラ/スプリンターもそうでした。

しかし、シリーズの中のスポーツモデルはFRを踏襲し、2ドアクーペと3ドアハッチバックが販売されました。

私もトレノ3ドアハッチバックGTVという、GT APEXより装備が簡素化したの走りモデルに惹かれて、購入しようか迷っていました。

同じ寮のデザイン部の同期に、昔からのミニファンのHさんがいました。彼は学生時代からスキーをやっていたので、2代目スバルレオーネ4WDワゴンに乗っていました。

因みに、レオーネエステートは、4WDというとジープ系の車しかなかった時代に、東北電力が山中の電線設備の保全のために乗用で雪道を走破できるバンが欲しいというニーズに応えて、富士重工がFFセダンをベースに4WD化したのが最初だそうです。

コストを抑えるるためにブルーバードのドライブシャフトなどを流用したと聞きました。それ故、ホイールベースの長いちょっと苦しいバランス、でも結果的にその後のレオーネに繋がるの独特なプロポーションを誕生したのでした。

彼は愛知出身だったので、当然、入社後はT車を買うのだと勝手に思っていたら、ミニターボを買いに東京に行くので一緒に行かないか?と誘われました。

ミニにターボなんてあったっけ?

つづく

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